薪火×発酵から生まれる新たな本格和食! 日本料理の新時代を担う若手料理人の世界観に迫る
本田:その後、アルザスの日本領事館で公邸料理人になった。何か募集を見て応募したの? 國居:ご縁で誘っていただきました。僕の料理を食べてもらうことなく決まったので、「懐石 小室」の名前のおかげだなと思います。そのとき初めて自分で献立を常に考え、食材を仕入れ、調理するまでを一貫してやりました。すごく良い経験になりましたね。
本田:しかも海外だもんね。近くのマルシェとかで買うの? 國居:基本マルシェで買い物をしていました。食材がパリとも全然違うんです。海が遠くて、魚の鮮度がどうしてもよくない。生で食べられるのはマグロとサーモン、スズキぐらいでした。「小室」はすごく良い食材を使っていたので、いかに食材に恵まれていたのかを痛感しました。 本田:よく聞くのは、料理人が海外に行ったときに二つのパターンに分かれる。例えば、自分が使いたい調味料がない場合、それで料理がうまくいかなくなる人と、自分で調味料を作っちゃえばいいじゃんみたいな人とに。自分で作る方に行ったんだね。 國居:最初は何もできないと思っていました。その“できない”という感覚があったからこそ、たぶん、今、発酵調味料に興味を持って、作りたいと考えるようになったと思います。 本田:それからストラスブールでは薪料理にも出会ったよね。 國居:料理店で普通に薪を使った煮込み物とかがありました。田舎の熱源として薪を使っているんです。ずっと炭しか触ってこなかったんで、薪の熱源の温かみのような、炭とちょっと違うところに魅力を感じましたね。でも、ストラスブールでは一度も薪で料理を作っていないんです。それで、帰国したタイミングで調布にある「Maruta」に声を掛けていただいたので、そこで勉強しました。そうしたら、想像以上に薪の魅力に引き込まれました。 本田:日本に帰ってきたのは何年? 國居:コロナ禍で帰ってきたんで、2020年です。 本田:「Maruta」には2年ぐらいいたの? 國居:1年と少しぐらいです。「SHIZEN」をオープンすることがとんとん拍子に決まって、その準備を兼ねて、「Maruta」を辞めて、系列になる酒井商会の「創和堂」で働くようになりました。 本田:早くに「SHIZEN」のオープンが決まったんだね。