脱北女性が語る過酷体験 きっかけは「韓国ドラマ」 川を泳いで渡り…中国で一時拘束
■川を渡ると…中国で拘束
脱北時にヨンヒさんが所持していたのはリュック一つのみ。ヨンヒさんは「人生が終わることも覚悟して脱北した」といい、リュックの中には万が一の時のためにカミソリと、家族写真も持っていたという。 ヨンヒさんが、ブローカーと呼ばれる脱北者の手助けをする人物の協力を得て目指したのは、祖母が一時期暮らしていたなど自身にゆかりのある日本。その日本に移住するため、中国の日本総領事館を目指したという。 そこでヨンヒさんは2015年5月のある日、午前2時に北朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江(おうりょくこう)という川を泳いで渡る決断をする。この川を渡ると、瀋陽という都市にある日本総領事館まですぐ行けるという。ヨンヒさんによると、この鴨緑江は「川幅は20メートルほどだったが流れが速く、100メートルくらい流された。渡るのに20分以上かかったと思う」という。 その後、何とか中国に入ったが、また大きな壁が立ちはだかっていた。北朝鮮からの亡命を求めて中国の日本総領事館を目指したが、日本総領事館周辺は中国側の警備が厳しく、入館を断念。その後北京へ行き、およそ2800キロ離れたラオスの韓国大使館に向かうことにした。 地図で見ても相当な距離を移動したことが分かる。そして、ラオス国境付近の雲南省昆明市に着いた時、現地の警察署で拘束されてしまう。看守に貴金属やアメリカドルなどを渡して拘束から逃れようとするも、中国当局は受け取りを拒否。 中国国内で脱北者が見つかった場合は北朝鮮に送還されることが多く、ヨンヒさんは最悪の事態を覚悟したというが、拘束から8時間後に突如釈放された。この釈放の理由についてはいまだに分からないという。 その後、ラオスの韓国大使館に到着し、飛行機で韓国に向かった。身元調査の後、韓国社会で生活するための授業を受け、脱北から1年後の2016年5月にようやく韓国籍を取得することができた。続いてヨンヒさんの母や弟も脱北し、ソウルで再会を果たしたという。
■混乱の韓国、北朝鮮の関心高く…
尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾(だんがい)を巡り揺れている韓国について、北朝鮮の人はどうみているのか。今月3日に「非常戒厳」を宣言した尹大統領について、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」は11日に「尹政権が独裁の銃刀を国民に躊躇なく突きつける衝撃的な事件が起きた」と多くの写真を使いながら、尹政権の動向を詳細に伝えた。 そして16日には「尹錫悦に対する弾劾案が可決された。尹錫悦は群衆の弾劾闘争を『狂乱の剣舞』と冒涜(ぼうとく)し、韓国社会の激しい反発と怒りを引き起こした」と尹大統領が発表した談話も引用しながら続報を伝えながら度々言及していて、強い関心を持っていることが伺える。
テレビ朝日