憧れの「都大路」、全国高校駅伝はなぜ京都で行われているの? 五輪へ羽ばたいた選手たちも駆け抜けたロードの歴史をたどる
どんな選手が走ってきたの?
日本はマラソン人気が高い、世界でも長距離走の盛んな国です。ジュニア年代からロードを走る全国高校駅伝はその土台の一つで、ここから五輪へ羽ばたいたランナーも少なくありません。 1970年は佐伯豊南(大分)の双子の宗茂、宗猛選手が1区、3区を走り、卒業後はそろって実業団の旭化成に進んで五輪のマラソン代表に。日本長距離界を象徴する存在に成長しました。 日本陸連で強化に携わる瀬古利彦さんは四日市工(三重)で72~74年に3年連続1区を走った注目選手。早大へ進み、世界的なマラソン選手となりました。92年、96年と五輪に連続出場した谷口浩美選手は小林(宮崎)で2連覇を経験。日本陸連で中長距離などを統括する高岡寿成シニアディレクターは、洛南(京都)の中心選手として3度出場しています。 早大に進んで活躍した渡辺康幸さんは市船橋(千葉)の主力として、90、91年と2年連続1区区間賞。京都のコースでは日本選手ただ一人の快挙です。 仙台育英のサムエル・ワンジル選手は2002年から3年連続区間賞と大活躍し、08年北京五輪でケニアにマラソン初の金メダルをもたらしました。 東京五輪マラソン6位の大迫傑選手は08年、佐久長聖の2年生アンカーとして区間賞を獲得して長野県勢の初優勝に貢献。翌年は有力選手が集まる1区で29分6秒の好タイムをマークし、区間賞に輝きました。
マラソンの世界記録と競り合い?
男子が42・195キロに変更された第3回の優勝記録は2時間18分42秒。当時から、男子マラソンの世界記録と競り合うようにタイムを縮めてきました。1966年に中京商(現中京大中京=愛知)が初めて2時間10分を切る2時間9分28秒をマーク。すると翌年の福岡国際マラソンでクレイトン(オーストラリア)が、こちらも史上初めて9分台をマークしました。 高校生の間で効果的な練習方法が共有されるなどして大会記録は順調に伸び、2004年にワンジルを擁した仙台育英が2時間1分32秒をマーク。当時4分台だったマラソンの世界記録は14年にようやく2分台突入と、高校駅伝が“リード”していました。 近年はエリウド・キプチョゲ選手が2時間1分台の世界記録を2度樹立し、今年10月にケルビン・キプタム選手(ともにケニア)が0分35秒の驚異的な世界新をマーク。全国高校駅伝では昨年、倉敷(岡山)が2時間1分10秒の大会新。どちらも1時間台突入が現実味を帯びています。 近年の高速化には、反発力とクッション性を両立させた厚底シューズが影響しています。2017年ごろからトップランナーが履き始め、数年で高校生にも広がりました。 昨年、日本選手7人による高校最高記録となる2時間1分57秒を樹立した佐久長聖の高見沢勝監督は「各校が性能の高いシューズに合わせた指導をして、タイムを縮めてきた」とその効果を認めます。一方で懸念もあり「成長期の高校生が履くと故障につながるリスクもある。高反発シューズは筋肉への負担も大きい」と、より良い強化法を探っています。