僕はMCでも司会者でもない――。くりぃむしちゅー上田晋也、芸人としてのこだわり
「これを書いたのも、ちゃんとツッコミの人間なんだっていうのを見せたかったっていうところもあります。まあ、あとから読んでみたら、自分でもたとえツッコミが多すぎないかとは思いました。これでもだいぶ削ったんですけどね」 自身の40代を振り返った1作目に続いて、『激変』では激動の30代の出来事について書いている。上田にとって30代は、芸人としてテレビの仕事が増え始めた時期にあたる。私生活では結婚して子供が生まれ、コンビ名が「海砂利水魚」から「くりぃむしちゅー」に変わり、テレビ朝日の深夜番組『虎の門』の「うんちく王決定戦」で知識の豊富さを買われて、「うんちく王」として知られるようになった。 「あの時期が一番忙しかったですね。テレビ朝日の『銭形金太郎』っていう番組で、日本全国の一般人のビンボーさんの家を訪ねるロケがあったから。早朝に羽田空港に集合してロケに行って、午後1時過ぎぐらいに東京に戻ってきて、ゲストで呼ばれた番組の収録が2、3本あって、夜中にラジオ番組があって、その合間に打ち合わせや取材も入っていて。 そういうときって、普通だったら移動中が寝る時間なんですけど、僕は『うんちく』を入れなきゃいけなかったから、移動中にもずっと雑学の資料とか本を読んでいたんですよ。だから本当に寝られなくて。あの頃は平均睡眠時間が3~4時間ぐらいで、あと半年この生活が続いたら過労死するな、と思ってました」 今でもレギュラー番組を多く抱えているが、規則的なスケジュールなので実はそれほど慌ただしさは感じていない。ゲストとして番組に呼ばれる立場のほうが、寝る間もないほど忙しかったりするのだという。 「今で言うと『M-1』で優勝した錦鯉とかは、当時の僕らぐらい忙しいでしょうね。(錦鯉の)長谷川(雅紀)なんて50歳じゃないですか。だから、当時の僕よりも早めに死が訪れると思いますよ(笑)」 一般の社会人でも、30代は伸び盛りではあるが、目先の仕事に追われるばかりで伸び悩む時期でもある。そんな30代の社会人に上田がエールを送る。 「苦境に立たされている人がいるとしたら、いま置かれている状況をすべてだと思わないことでしょうね。学校でいじめられている子とかもそうなんですけど、時間が経ったり場所が変わったりすれば、また違う現実があったりするわけです。偉そうに言えないですけど、今がすべてだと思わないことじゃないですか」 上田自身も、司会者というポジションになりたくてなったわけではない。でも、人に求められた結果、そこにたどり着いていた。自分の行く道は他人が決めてくれる。 そんな上田は激動の30代、充実の40代を過ぎて、円熟の50代を迎えた。仕事は順調に見えるが、記憶力の衰えは加速するばかりで、共演者の名前を思い出せなかったり、とっさに言葉が出てこなくなることも多い。それをどうやって乗り切るのかを問うと「いや、もう乗り切れないんじゃない?」と達観したような答えが返ってきた。 「本当に何も出てこないですからね。この前の正月に高校の同級生と話していたときも、昔あったことを全く覚えていなかったですから。死ぬ直前に走馬灯のようにいろいろ浮かんできて『ああ、あんなこともあったな』とか思いたいじゃないですか。でも、このままだと何も出てこない可能性ありますからね」 人生最後の瞬間、どこまでも真っ白な空間が続く走馬灯に向かって、上田はどんなツッコミを放つのだろうか。