筋トレという自傷行為にハマる人が続出…痛みから快感を得る人の頭の中
しかし、筋トレの後に起き上がれないほどの苦痛を体験することで、「おれはこんなに頑張ったんだ、えらい!」と、自分を褒めたい気持ちになります。 ● 苦痛は「自分の存在を確かめる」 快楽であり、自己実現だった このように考えると、なぜ人が苦痛を自ら追い求めるのか、という問題について、一つの仮説を立てることができます。すなわちそれは、身体的には苦痛であるが、自分の存在を確かめられるという意味では、快楽だから、ということです。 苦痛は、ある場合には、それによって自分が自分であることを確信させてくれるもの、すなわち自己実現に寄与することになるのです。 それでは、どのような理由であれ、自傷行為は許されるのでしょうか。 たとえば、自分の手首を刃物で切る行為を、リストカットと言います。自傷行為と聞いてまず人が思い浮かべるのは、このような行為ではないでしょうか。それでは、筋トレと同じように、リストカットもまた許されるのでしょうか。 私たちは、どうにも、簡単に「そうだ」とは言えないでしょう。筋トレは許されるけど、リストカットは許されないように感じます。
しかし、自分の苦痛を求めるという点では、両者の間に違いはありません。いったい何が両者を区別しているのでしょうか。 すぐ考えればわかることは、両者にはその目的に違いがある、ということです。 筋トレは、自分自身の筋力を増大させるために行われます。筋トレとは、まさに、自分自身をパワーアップさせたい、成長させたいという思いから行われる行為です。だから、その行為の目的は自分自身である、ということになります。 しかし、リストカットはそうではありません。ほとんどの場合、それは一時的な感情の昂ぶりから引き起こされます。しかもそれは、自分をよくしたいという、ポジティブな思いに駆られたものではないでしょう。 むしろ、自分を許せない、自分を罰したい、自分を否定したいという、ネガティブな気持ちから、人は刃物を手に取るのではないでしょうか。 そうだとすると、リストカットの目的は、自分自身にあるのではありません。なぜならそれは自分自身を否定しようとするものだからです。 おそらく、私たちがリストカットを許せないと思うのは、その行為が、あくまでも否定的な感情に駆られたものであり、自分自身を蔑ろにしているように感じるからではないでしょうか。
戸谷洋志