筋トレという自傷行為にハマる人が続出…痛みから快感を得る人の頭の中
わざわざ自分を苦痛に追い込むという意味では、筋トレは自傷行為に近いとも言える。苦しいはずなのに筋トレを続ける人が、生き生きしていくのはなぜなのか。自分を痛めつける行為(自傷行為)と筋トレの明確な違いとは――。※本稿は、戸谷洋志『悪いことはなぜ楽しいのか』(ちくまプリマ、筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 刃物で自分を傷つけることだけが 「自傷行為」ではない 私たちの行動は、快楽と苦痛によって左右されます。多くの場合、人は快楽を追い求め、苦痛を忌避します。ところが、私たちには時として、自ら苦痛を追い求めることもあるのです。しかし、それはいったいどんなときでしょうか。 たとえば、その典型として、自傷行為を挙げることができます。刃物で自分の身体に傷をつける行為は、「私」にとっては、ただ痛いだけの行為です。それによって快楽を得ることはできません。そうであるにもかかわらず、ある種の人々は、そうした行為を自ら求めるのです。 もっとも、刃物で自分を傷つける行為だけが、自傷行為ではありません。たとえば、特にお金に困っていないのに売春をすることは、自分で自分を傷つける行為でしょう。また、自分のことを非難し、精神的に自分を追い詰めることも、ある意味では立派な自傷行為です。 しかし、そもそも、苦痛は避けられるべきものであったはずです。そうであるとしたら、自ら自分に苦痛を与えようとする、ということは、苦痛の定義からして矛盾しているように思えます。もしかしたら、自傷行為をする人にとっては、苦痛はむしろ快楽である、ということになるのでしょうか。
私にはそうは思えません。たしかに、「自傷行為はある意味で快楽である」と言うことはできるかもしれません。しかし、それが自傷である以上、そこには必ず苦痛が発生しているはずです。 本来なら人間が避けるべきであるような苦痛を、なぜ、人が求めてしまうのか、そしてそれは正しいことなのかを、検討してみましょう(いやー、どんよりしそうですね。クッキーでも齧りながら読んでくださいね)。 私たちには、避けるべきものであるはずの苦痛を、自ら求めてしまうことがある――その一つの事例として、すぐに思いつくことができるのは、筋肉を増強するためのトレーニング、すなわち筋トレでしょう。 筋トレが自傷行為なわけないだろう、と思われたでしょうか。たしかに、一般的にはそうは考えられていません。 しかし筋トレは、一時的に筋肉に負荷を与え、意図的に筋断裂を起こさせる行為です。筋断裂は一般に筋肉痛と呼ばれる痛みを発生させます。その部位が再生し、超回復することで、以前よりも大きな筋肉へと成長します。このメカニズムを応用して、筋肉を肥大させる行為が、筋トレに他なりません。