筋トレという自傷行為にハマる人が続出…痛みから快感を得る人の頭の中
筋肉痛にも程度の差があります。ほとんど痛みを伴わずに筋肉を成長させるトレーニングもあるでしょう。しかし、子どもの頃から空手を習い、学生時代にはブレイクダンスをしていた私は、めちゃくちゃ痛いトレーニングが好きです。 筋トレが終わった後、もはや動けないほどに筋肉が悲鳴を上げているとき、「ああ、おれは頑張った…」といった多幸感に包まれます。逆に、トレーニングのあとでまったく痛みを感じなかったら、「あれ、やった意味あったのかな」と不安になります。 ● 筋トレで「筋肉痛」 それでもやめられない理由は? 告白しましょう。私は筋トレにおいて筋肉痛を自ら求めています。それは、言い換えるなら、自分の苦痛を求めるということです。しかし、それはなぜなのでしょうか。 まず、次のような反論が寄せられるかもしれません。それは苦痛を求めているのではなく、筋トレの効果を求めているのではないか、ということです。つまり、苦痛は単に筋肉の成長のサインであって、苦痛そのものを求めているわけではないのではないか、ということです。
これはもっともな意見のように見えます。しかし、多分、私と同じように筋肉痛を求めている人のなかには、この意見には共感できない人もいるのではないでしょうか。 たとえばここに、どれだけ激しい筋トレをしても、その後に襲ってくる筋肉痛を無くすことができる薬があるとしましょう。果たして、筋トレをした後、自分がそれを飲むだろうか、と自問すると、多分私は飲みません。 筋トレをしたなら、そのあと、がっつりと筋肉痛が到来してほしいのです。ということは、やはり私は筋肉痛を筋肉痛として、それ自体として、求めているのだと思います。 あれ、急に読者がついてきてくれているか不安になってきました。そういうこと、ありますよね!? みなさんが賛同してくれるようですので、話を先に進めましょう。それでは、なぜ、私は筋肉痛を求めているのでしょうか。私の考えはこうです。すなわち、多分、「それだけ自分が頑張った」ということを、筋肉痛が実感させてくれるからではないでしょうか。 つまりその苦痛は、自分が成し遂げたこと、自分が達成したことを、実感させてくれるのです。 もしも筋トレした後で、まったく筋肉痛がなかったら、「おれは何をしていたんだろう」という虚しい気持ちになるかもしれません。