根岸季衣、20歳で『ストリッパー物語』の主役に抜擢。短大中退後“上から目線”で戻った劇団で看板俳優に「イヤだったらすぐ辞めます」
※根岸季衣(ねぎし・としえ)プロフィル 1954年2月3日生まれ。東京都出身。1975年、つかこうへいさんに『ストリッパー物語』の主役に抜擢され、圧倒的な存在感で注目を集める。大林宣彦監督の映画には、『時をかける少女』以降、遺作となった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』まで27作品に出演。映画『夢』(黒澤明監督)、映画『スイート・マイホーム』(齊藤工監督)、連続テレビ小説『まれ』(NHK)、『366日』(フジテレビ系)、『お別れホスピタル』(NHK)などに出演。ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』が公演中。映画『サユリ』が全国公開中。
『ストリッパー物語』の主演に
つかこうへいさんの事務所を辞めた根岸さんは、幼稚園の先生になるために別の短大に入り直したという。 「そもそもはアルバイトで保育園を手伝っていたら、子どもと接しているのがすごく楽しくなっちゃって。園長先生にも『あなたは保母になるために生まれてきた』とかって言われて、すっかりその気になっちゃったんですよね(笑)。 ちゃんと(先生の)資格も取ろうと思って、短大にまた入ったんです。幼稚園の資格も全部取れる結構厳しいところに入っちゃったので大変でした。つかさんは、どうせひと月もしたら戻ってくるだろうって思っていたみたいですけど、半年ぐらい続いたのかな。その半年間はつかさんのところに1回も顔を出してなかったんです。 でも、保育園に勤めていたときは良かったんですけど、座学になるとやっぱりおもしろくなくて。それで何かグダグダしているときに、『また来い』みたいな感じになって、結局、短大をまた辞めて。ふたつ中退することになってしまいました。 それで、結局やることになったんですけど、また稽古をやるってなったときには、ちょっと強気でしたね。『イヤだったら私はすぐ辞めますから』みたいなちょっと居丈高な態度で、上から目線で戻ったみたいな感じで(笑)。 でも、それが良かったんですよね、きっと。必死で『ここで頑張らなきゃ!』とか、『何が何でもやるんだ!』というのではなくて、イヤになったら辞めるみたいな感じだったのが良かったのかなって思います。『ここは絶対に辞めない』みたいな人たちが結構多かったので」 ――それで、すぐに『ストリッパー物語』ですか。 「そうです。それで『ストリッパー物語』の稽古に入りました。もうその前につかさんは準備していたんですよね、稽古していた頃に。そういう踊りみたいなことは私じゃなくて、むしろ平田(満)くんのほうが全然うまくてね。ちょっと色っぽく踊ったりするんですよ。だから『何でお前はできねえんだ?』って言われていました。そんな感じでやっていましたね。 彼(平田満)は本当に生え抜きだから、そういう意味では踊りがうまいというか。つかさんが何を求めているか、的確に表現できるのはやっぱり平田くんが一番でしたからね。つかさんのところでは、何の公演をするかというわけじゃない稽古期間が前に結構あって、そういうなかで『ストリッパー物語』の構想はあったんでしょうね。 でも、つかさんの場合は、本当に作っていくうちに、どんどんどんどん変わっていって、結局最後には初めにやっていたのとまったく連携がないみたいなことがよくありましたね(笑)」 ――『ストリッパー物語』の主演でと聞いたときは、どう思われました? 「主演でと言っても、あまりそういう感じがなかったです。稽古していておもしろいからやるけど…みたいな、すごく強気な態度でしたね。結局、つかさんもその分結構気を遣ってくれたし」 ――“つかブーム”になって演劇界に多大な影響を与えました。『ストリッパー物語』を見て演劇を始めた方も多いですね。辰巳琢郎さんも衝撃を受けたとおっしゃっていました。 「年齢的にはあまり変わらないんですよ。みんな学生で、こっちも20歳くらいだから年齢的には同じくらいなんだけど、『ストリッパー物語を見て演劇を始めた』と言ってくれる人は結構いますね」 1980年、舞台『蒲田行進曲』(作・演出:つかこうへい)の初演でヒロイン・小夏役に。根岸さんの最初の芸名「嵯峨小夏」から“小夏”という役名になったという。