両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.27
日本館とジャパンハウス
その頃、アメリカで日本の禅がブームになりつつあった。 ニューヨークに大菩薩禅堂「金剛寺」、そして禅堂「正法寺」の住職をし、また「禅センター」でも活躍していた嶋野栄道老師がいた。その老師が巡回指導でデンバーに来た。禅指導会の後、指圧の名人と紹介された本間が、老師の肩を揉んでいると、老師は本間にこんな事を言った。 「本間くん、『ジャパンハウス・カルチャーセンター』という名前は、どうも軽すぎる感じがするね。『日本館』という名前に変えた方が良い。それから、幸運を呼ぶと言われている『白い牛』をロゴマークしたらどうだろう」 嶋野栄道老師は本間の人間力を見抜き、そして彼の未来を見通しているかのようなアドバイスを送った。スケール感のあるその名称とロゴに本間の胸は高まった。 その後、日本館の活動や日本文化紹介・宣伝するため、本間は「ジャパンハウス」という新聞を発行する。月刊紙であったが1万部を発行し、デンバー市内各所のコミュニティ新聞置き場に置いた。1000部や2000部ではない、なんと1万部も発行したのだ。 そんな本間の日本館に注目した日本のテレビ局各社は、コロラドの情報やトピックスを得ようと彼に近づいた。やがて本間はコーディネーターの仕事が依頼されるようになった。たとえば、日本テレビの「お昼のワイドショー」、「徳光和夫のTVフォーラム」や、NHKのスペシャルドキュメント番組などだ。 本間の一番の思い出は、「お昼のワイドショー」で2週連続で放映され、視聴者の涙を誘った「混血青年、母を求めて」という作品だった。日本人の母と米兵であった米国人の男との間に生まれた男児が、母と別れて米国に養子に出されたものの、養子先に実子が生まれ、施設に預けら育てられる。その後、その男児が青年となって祖国日本の母を訪ねるという内容であった。 もうひとつの忘れられない思い出は、戦時中に日本軍の捕虜となり、東京ローズ等と共に日本軍のプロパガンダ放送(ラジオ)に携わったドッド氏の話である。ドッド氏が自分の過去を振り返り日本の関係軍人等と再会するドキュメンタリーであった。この作品はNHKの「スペシャル・ドキュメンタリー」(前編・後編各1時間番組)となって放映された。 ドッド氏は「敵国に協力した」として、戦後米国から年金等の社会保障が受けられず、名誉も剥奪されていた男である。そのドッド氏と青年のふたりは、その当時、共に日本館の日本語クラスを受講しており、本間によって掘り起こされた話である。 (Vol.28に続く)
Project Logic+山本春樹