佳子さま30歳に 「どうせ好きな人とは結婚できない」とつぶやいた内親王 悠仁さまを支える道と、皇室を離れる道
政府の有識者会議は2021年の報告書で、皇族数の確保のために「女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する」「旧宮家の男系男子が養子として皇族に復帰する」の2案を示した。 これを受けて昨年5月から与野党で協議がスタート。秋には衆参両院の議長が、女性皇族が結婚後も皇室に残る案について各党でおおむね共通認識が得られた、とする中間報告をまとめた。昨年12月には、衆院議長らが今年夏の参院選前までに結論を出す必要があるとの認識を示したと報じられたものの、先は見えない。 そもそも「女性宮家」の創設を視野にいれた議論が本格的にスタートしたのは11年、野田佳彦政権のときだ。当時の宮内庁の羽毛田信吾長官が野田首相に面会し、「皇族の減少が緊急性の高い課題」と進言。首相も「女性皇族が結婚年齢に近づいている」と会見で説明して議論が本格的にスタートしたが、10年以上が経っても具体的な「成果」はない状態だ。 ■「皇室はやせ細ってしまった」 皇室をめぐる議論が始まったときに、高校2年生で16歳だった佳子さまは30歳になり、小学4年生で8歳だった愛子さまは23歳の誕生日を迎えた。 皇室制度史や儀式に詳しい京都産業大の所功・名誉教授は、21年に開かれた「安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議」のヒアリングの場で、女性皇族の結婚後の身分の確保の重要性について意見を述べている。 「手をこまねいている間に、皇室はどんどんやせ細ってしまった」 と、所さんは現状を心配する。 「宮家の存続」と「結婚」をめぐっては、こんな話も聞こえてきていた。
■「宮家に人生をささげる 英国での留学生活をつづった『赤と青のガウン オックスフォード留学記』がベストセラーとなった三笠宮家の故・寛仁親王の長女の彬子さま(43)は、日本美術の研究者として活躍している皇族だ。女性皇族として初めて英オックスフォード大で博士号を取得するなど、女性皇族としてキャリア形成を成し遂げた先駆け的存在でもある。 複数の関係者によれば、そうした彬子さまでさえ、父の寛仁親王から、 「結婚するならば、旧皇族が相手だ」 と条件をつけられたと言われている。そして、彬子さまご本人も以前から周囲にこう話しているという。 「結婚はしない。三笠宮家に人生をささげるつもりだ」 高円宮家では、次女の千家典子さんと三女の守谷絢子さんが結婚して皇室を離れた。長女の承子さま(38)にも、母の久子さまも公認で長年交際しているお相手がいる、といわれている。その人物と一緒にいる写真が何度かメディアに掲載されたこともある。 にもかかわらず、数年前から結婚のタイミングをうかがいながらも踏み切らないのは、承子さまはご自分の代までは高円宮家を支える覚悟なのではないか――そのようにも受け止められている。 ■愛子さまが皇室に残るとすれば そして、30歳の佳子さま、23歳の愛子さまのおふたりの人生は、皇室典範の議論の行方によって、大きく影響を受ける可能性がある。 前出の所さんによれば、天皇家の内親王である愛子さまが皇室に残られるとして、皇位を継ぐためではなく、両陛下をお支えする役割を担うためだとすれば、その意義は大きいという。 佳子さまも、皇室を離れれば、皇位継承権を持つ弟の悠仁さまをそばで支える皇族がいなくなってしまう。そのため、女性皇族の婚姻後の身分についての制度が固まるまでは、結婚を待つのではないか、という考えもありうる。 「いずれにせよ、あくまでも天皇ご一家や秋篠宮家と内親王方がどうお考えになるかがいちばん大切です。仮に佳子さまが若い頃に皇室を出ることを希望されていたとしても、公務のご経験を積まれるなかで、お考えに変化が生じているかもしれません」