デフリンピック4大会連続出場“レジェンド“亀澤理穂が講演 東京2025デフリンピックへの思い「デフ選手にとっては人生を懸けた戦い」
亀澤にとってのデフリンピック
デフリンピック初出場は2009年の台北大会。団体戦で2位、個人戦で3位となった。日本代表候補から日本代表になり、初めて出場した台北デフリンピックでメダルを獲得したことで「夢は叶えられる」ことを実感したという。 そこから4年に一度、デフリンピックで多くの経験をしてきた。 2013年ブルガリアデフリンピック、女子ダブルス決勝戦で足を捻挫してしまったこと。 2021年ブラジルデフリンピックでは、戦争の始まっていたウクライナから選手が出場できたとき、ライバルだけれど嬉しくて涙したこと。 デフリンピック4大会連続出場、そのメダル獲得8個。卓球選手としての集大成が、東京2025デフリンピックだと亀澤は思っている。
4回出場もいまだ金メダルは獲れず
過去の海外でのデフリンピックの会場には、補聴器をつけている選手、つけていない選手がいて、本来は補聴器はつけないルールなのでそれは公平にしてほしい、と要望した。 また、リアルタイムでも試合結果を伝えてほしい、ライブ放送や生配信もあるともっと盛り上がるはずと、デフスポーツに注目してもらうための具体的な施策も提言した。 もちろん亀澤自身の悲願は、4回出場するもいまだに獲れていない金メダルだ。どの種目でもいい、金を獲りたいと強く決意している。
「デフリンピックは人生を懸けた戦い」
「デフにとっては人生を懸けた戦い。各国から参加する選手も、他の国際大会とは気持ちが違う」と、亀澤はデフリンピックの特別さを語る。 「感謝の気持ちをもって、たくさんの方々に感動を与えられるように。手話の大切さと、障害があるないにかかわらず、共に生きる共生社会の実現を目指したい」と、講演を力強い手話で締めくくり、会場は万雷の手話の拍手で応えていた。
槌谷昭人(ラリーズ編集長)