北の富士さんの訃報に親方衆ら哀悼の意…弟子の八角理事長「楽しい師匠だった。本当によく褒めてくれた」
大相撲で優勝10度の第52代横綱で、解説者としても人気を博した北の富士勝昭さん(享年82)の死去が判明してから一夜明けた21日、九州場所開催中の福岡国際センターでは弟子だった日本相撲協会・八角理事長(61)=元横綱北勝海=をはじめ、親方衆らが哀悼の意を示した。関係者によると、最近1年間は持病の心臓疾患や脳梗塞で入退院を繰り返し、今月に入って体調が悪化。12日午前に東京都内の病院で亡くなったという。12月18日に八角部屋でお別れの会が開かれる予定。 【写真】1987年9月、大相撲秋場所で優勝しタイを手に笑顔の横綱北勝海(現八角理事長)と師匠の北の富士勝昭さん その師匠ありて、この弟子がある。北の富士さんの死去を受け、弟子だった八角理事長は「よく頑張ったんじゃないか。体調が悪い中、リハビリを一生懸命やっていた」と故人をしのんだ。九州場所中に「何かあったらうち(八角部屋)で頼むと打ち合わせをしていた」と明かし、最後に会ったとき「よく飲んだよな」と歓談したという。 北の富士さんは現役引退後、年寄「井筒」を襲名して部屋を興した。前九重親方(元横綱千代の山)の死去に伴い、九重部屋を合併。師匠として千代の富士、北勝海の2横綱を育てた。 現役時は「夜の帝王」「プレーボーイ横綱」と呼ばれ、八角理事長は「楽しい師匠だった。怒るところを見たことがない。本当によく褒めてくれた」と振り返った。相撲について教わったことはなく、注文や小言を「言わない努力をしてくれた。言われるとこっちもやらないから。千代の富士さんもそう。あの師匠じゃなかったら、2人の横綱はできなかったろう」と懐かしんだ。 歯に衣(きぬ)着せぬ評論でファンを楽しませたが、マナーや礼節には厳しかった。八角理事長が新十両に昇進した19歳のとき「その気になるなよ」といましめ、新入幕の際には「記者の質問に答えてから席を立て」と、うるさくいわれた。 負けた豊昇龍(現大関)が不十分な礼を行司に注意され、やり直しを促されたとき、反省の色を見せなかったことがある。北の富士さんは「師匠がしっかり指導しないと。今直さないと、ゆくゆく面倒なことになりかねない」と気色ばんだ。 元大関千代大海の九重親方(48)は師匠が元千代の富士。北の富士さんは先々代師匠で「孫弟子」にあたる。北の富士さんが隆盛を築いた部屋を継ぎ「おまえは孫だからと、ほっこりする言葉をかけてくれた」としのんだ。