北の富士さんの訃報に親方衆ら哀悼の意…弟子の八角理事長「楽しい師匠だった。本当によく褒めてくれた」
モンゴル出身力士を相手に奮闘していた稀勢の里(38)=現二所ノ関親方=には自称「稀勢の里関を横綱にする会」をつくり、会長を名乗った。二所ノ関親方は大関時代に2人で食事した思い出として「『相撲を教えてやる。おまえには遊びが足りないんだ』と。心に余裕がない、そういうことをいわれていたんだと思う」。
人を見て硬軟を使い分けた、名伯楽だった。(奥村展也)
★北の富士勝昭 (きたのふじ・かつあき、本名・竹沢勝昭=たけざわ・かつあき) 昭和17(1942)年3月28日生まれ。北海道旭川市出身。出羽海部屋から32年初場所初土俵。42年に九重部屋へ移籍。45年初場所後、玉乃島(後に玉の海へ改名)と横綱に同時昇進した。49年名古屋場所2日目に引退し、年寄「井筒」を襲名。52年に「九重」に名跡変更。師匠として千代の富士、北勝海の両横綱らを育てた。日本相撲協会では理事、審判部長などを歴任し、平成10年1月に退職。その後はNHKの相撲解説などを務めた。幕内通算592勝294敗62休(64場所)。優勝10回。現役時代は185センチ、135キロ。