ギャツビーのヘアワックスなぜ凄い?【知られざる4つの逸話】
ギャツビーのヘアワックスといえば、男性なら誰もが一度はお世話になったことがあるのでは?そんな伝説的なブランドの商品が、現在の地位を確立するに至った背景を紹介する。
ギャツビーの逸話①「ヘアサロンとの協業で常識を打ち破る!」
ヘアスタイリング剤といえば、いわゆる美容室で販売されている「サロン専売商品」と、ドラッグストアやコンビニ、スーパーで販売される「市販品」が明確に区分けされており、両者は不可侵の関係であった。美容師にとって、サロン専売のヘアスタイリング剤やシャンプー、トリートメント等は、顧客一人当たりの売上単価の上乗せに欠かせない商材だ。だからこそ、「市販品」よりも「サロン専売商品」が、品質や使い勝手といった面で優れている状態が理想的であって、普通に考えるとギャツビーのようなマスブランドの商材の開発に美容師が協力する理由は一切ないと考えるのが普通だろう。 しかし、2006年8月に発売された「ギャツビー ムービングラバー」は、この見えざる壁を完全に破壊した。すべての商品が、人気ヘアサロンの監修により開発されており、LIPPSやGUZZLE、apish AOYAMAなど、都心の人気美容室が、1商品に対して1サロンという形で監修を行なっている。これが実現した背景には、ギャツビーの美容室を説得するための営業努力もさることながら、長年にわたって培ってきた中身技術、そして圧倒的な流通網によるメリット提供が可能だったことが挙げられる。全国の小売店に陳列される商品に添付されるサロン名の記載された商品ラベル、そしてスポットで実施されるコラボイベントを通じて「誰もが知っているギャツビーを監修しているすごいサロン」というブランディングにつながるというわけだ。これにより、顧客開拓と人材採用の面で優位性を生むと考えたことから人気サロンが監修という形で、市販品メーカーのギャツビーに協力するにいたった。
ギャツビーの逸話②「昭和初期から一貫して男性の格好良いに向き合い続ける」
ギャツビーを展開する株式会社マンダムは、丹頂株式会社を前身としている。「丹頂チック」という整髪料で一世風靡し、1930年代から1950年代において男性の間で主流人気を獲得していた、チックやポマードといったオイル系整髪料の市場を牽引していた。しかし、1960年代に入ると外資系メーカーや国内大手メーカーが、男性化粧品市場に参入し、それまでのチックやポマードといったオイル系整髪料から、ヘアトニックやヘアリキッドといったアルコール系液体整髪料に市場がシフト。その市場に対応していくために、「丹頂チック」の会社というイメージを払拭すべく、社名をマンダムに変更した背景がある。その後も、1980年代後半にはヘアムースやジェル、1990年代後半には無造作ヘアに不可欠なヘアワックスが主流となってゆくが、常に同社は男性用ヘアスタイリング市場の第一線で戦ってきた歴史を持っている。技術開発や製造のノウハウだけでなく、その時代特有の男性の価値観や美意識、普遍的な欲求に対する深い理解や洞察という面においても、他メーカーが簡単には太刀打ちできないような強みを有している。