眠っている「自分の本心」を目覚めさせる方法は?
思考の制限を外す。
始めてみると、すぐに手が止まってしまうこともあるかもしれません。 自分の中のこんな声が邪魔していないでしょうか。「これは、なんの役にも立たない」「こんなものにときめいているなんて、恥ずかしくて人に言えない」「好きだけど、そんな才能はない」など。 そういう声が聞こえてきたら、「とりあえず書いてみるだけだから」と言って、自由に発想を広げましょう。 どんな小さなものでも大丈夫です。すごいかどうかは問題ではありません。 逆に壮大なものも大歓迎です。いまの自分には到底手に入らなさそうな非現実的な妄想でも、浮かばせてみましょう。 私たちは無自覚のうちに、自分自身に枠や天井をつくってしまっています。「わきまえる」「分相応」など控え目であることを美徳とする考え方や、「野心家」など身の丈以上を望むことを卑下したような言葉に、特に女性は多く影響を受けているだろうと思います。 確かに、望んだことが実現するかどうかは誰も約束できません。けれど、どんなことであれ、欲してみること、夢を描くことは自由です。そして、何かを実現する出発点は夢見るところからです。 好きなことが一貫していなくても大丈夫です。たとえば、人と一緒に過ごすことが好きな一方で、ひとり静かな時間も欲しい、というのはまったく不思議ではありません。高級フレンチを楽しむ一方で、白米と味噌汁が好き、というのも何もおかしくありません。 私たちがその両方を大切にしたいと望むことは、何も間違っていません。表面的には相反しているように見えるものも、根底では共通項で繋がっていることもよくあることです。もちろん、繋がっていなくたって、それも問題ありません。 また、いまここで書き出してみることが、将来、嫌いになっても大丈夫です。これに未来永劫縛られるわけではありません。大切なものが移り変わっていくのも、これもまた人間として自然なことです。私たちの身体も感情も、そして世の中も、刻一刻と変わっています。考え方だって変わっても当然です。