ウクライナ危機で注目 「クリミア戦争」ってどんな戦争だった?
クリミア戦争が残したもの
クリミア戦争の結果、1856年のパリ条約でロシアは、モルダヴィアに隣接するドナウ河沿岸地帯を失いました。さらに、黒海の非武装化、トルコ領内のキリスト教徒に対する「ヨーロッパの保護」(これによってトルコは、さらにヨーロッパ列強の干渉にさらされることになった)などにも合意。 後にロシア海軍の黒海艦隊は復活しましたが、大きな犠牲を払いながらもそれ以上の南下を止められたため、クリミア戦争はロシアからみて、ヨーロッパ勢の介入による挫折と屈辱を意味するものになったのです。 クリミア半島はその後もロシア海軍の要衝であり続けましたが、ソ連時代の1954年にロシアからウクライナに移譲されました。ロシアとウクライナがともにソ連の一部であった間、これは大きな火種にもなりませんでした。 しかし、冷戦終結後の1991年にソ連が崩壊したことで、クリミア半島とそこに暮らすロシア系人たちは、ロシアから切り離されました。これらの歴史に照らすと、今回のロシア軍による行動を現地の多くのロシア系人たちが歓迎していることは、無理のないことといえるでしょう。そして、 民族主義が再び高まるなか、ロシアがヨーロッパ勢と対立してでもクリミアに特別な思い入れをもつこともまた、不思議でないのです。 (国際政治学者・六辻彰二)(動画制作:TOMOニュース)