“丸刈り”だった氷川きよし、中学時代の憧れはヴィジュアル系バンド
歌手を目指したきっかけはヴィジュアル系バンド
これまで数々の演歌のヒット曲を世に放ってきた氷川だが、歌手を目指した当初、演歌はそれ程近い存在ではなかったという。 「歌が大好きで、中学2年生からオーディションを受けたりしていたんですけど、当時は演歌よりもポップス系をよく歌っていて。ヴィジュアル系バンドも大好きでした。『SHOXX』という雑誌をいつも楽しみに読んでいましたね。当時は校則でいつも丸刈りだったんです。楽曲はもちろん、髪型とか、ファッションにも憧れがあって。自分を変えたいというような……」と懐かしそうに振り返る。 高校に進学して本格的に歌手の道を目指しはじめると、意外な形で演歌と出合うことになる。 「レッスンでポップスを歌ったら、おじいちゃんの先生に『私は演歌しか教えられない』と言われて(笑) はじめは『演歌は分からないし、どうしよう……』と戸惑っていたら、その先生から『ワシのためにも演歌を歌ってくれんかね?』と頼まれて。それで演歌を歌うようになったら、すごく喜んでくださったんです」 そして、先生の期待に応えるべく、必死に練習を重ねるうちにその魅力にハマッていったという。 「自分でも、演歌を聴いたり、歌ったりしているうちに『こんな世界があったんだ!』と面白くなってきて。こぶしなんかも分かってきて、どんどんのめり込んでいきました。演歌に出合わせてくれた先生には、今でも感謝しています」
朝から晩までファミレスでバイト
その後、氷川は高校卒業直前に出場したオーディション番組をきっかけに、作曲家の水森英夫氏にスカウトされて上京を決意。だが、そこで待ち受けていたのは、来るかも分からないデビューの日を夢見る下積み生活だった。 「経済的にもパッと飛行機代を出せる状況ではなかったし、一大決心をして東京へ出てきたものの、当時は『若い男の演歌歌手は難しい』と言われていた時代で。歌手になれるめどもなく、3年半近く、朝9時から夜6時までファミレスでアルバイトをしながら、歌の練習に励んでいました。バイト仲間からも『もう3年経つけど、アンタいつデビューするの?』と言われていました (笑)」 だが、そんな下積み時代に対しても、「基本的には料理を作っていたのですが、人が足りない時にはホールもやっていて。引っ込み思案だったので、そこで自信をもたせてもらった部分もあります。飲食店で人前に出て接することで、お客様を喜ばせることの大切さを学ばせて頂きました」と語る。 デビュー以来、常に感謝の言葉を口にし続けている氷川だが、その歌手人生はまさに言葉だけでなく、行動で感謝を示すことで切り開かれたといっても過言ではないだろう。 「18年間歌ってきましたけど、今が一番いいと思えるのがすごく幸せです。20代の時は、よく泣いていたし、いちいち言うことでもないですが、辞めたいと思ったこともありました。でも、そういうつらい時があったからこそ、今が楽しいのかなって」 そして今、氷川は幼き日を彩ってくれた人気アニメへの感謝の気持ちを込めて、同曲を熱唱している。 ■氷川きよし(ひかわ・きよし) 9月6日生まれ。福岡県出身。2000年に「箱根八里の半次郎」でデビュー。同年大みそかの「NHK紅白歌合戦」に初出場し、昨年まで17年連続出場中。「日本レコード大賞」を受賞したほか、「日本有線大賞」では史上初となる8回の大賞受賞を誇る。今年3月に通算30枚目のシングル『男の絶唱』をリリース。6月には明治座にて「氷川きよし特別公演」と銘打った1カ月の座長公演を開催。