『光る君へ』宣孝の4人目の妻になった紫式部。最初そんな雰囲気はなかったのに…20歳差の結婚に秘めた<それぞれの思惑>を日本史学者が解き明かす
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回「紫式部と藤原宣孝の結婚に秘められていた思惑」について、『謎の平安前期』の著者で日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。 『光る君へ』で求婚した宣孝。当時3人の女性と子をなし、長男は紫式部と2歳違い…わずらわしくなった紫式部が送った歌とは? * * * * * * * ◆ついに宣孝と結ばれたまひろだが ドラマ内で、藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)と結ばれたまひろこと紫式部。 まひろが結婚した旨を聞いた道長も、最初は動揺を隠しましたが、宣孝から「夫は私」と聞かされて、さすがに驚く様子を見せていました。 20歳も歳の離れたふたりということで、さぞ紫式部は婚活に焦って宣孝と結婚したのでは…と思ってしまいますが、実際にはどうだったのでしようか。当時の結婚事情を踏まえて、あらためて考えてみましょう。 さすがにドラマのように宣孝が紫式部を越前に訪ねることはなかったでしょうが、史実の藤原宣孝も越前の紫式部に歌を贈っています。 しかし『紫式部集』にある歌からは、それなりに親しい親戚でも、最初はそれほどお互いに想っていなかったという雰囲気があります。ではなぜ二人が結びついたのか?
◆平安時代には「適齢期」「ちょうどいい年の差」という意識はなかった よく「20代半ばで独身だった彼女に焦りがあり、父親同様の年齢の男でも選んだ」と言われますが、平安時代には「適齢期」や「ちょうどいい年の差」という意識はなかったと考えられます。 『源氏物語』の光源氏の恋人や妻は、年上の六条御息所、大学生と小学生が出会った感じの紫の上、ライバルの娘の玉鬘、兄の娘の女三宮など娘でも不思議でない世代まで、実に幅広いのです。 また、若い頃の光源氏に言いよる老女官の源典侍のような女性も出てきます。 実在の女性でも、冷泉天皇の皇子二人と恋をして「恋多き歌人」として有名な和泉式部は30代後半でも恋愛をしています。 そもそもこの時代の結婚は、男が何人もの女の元に通う「通い婚」から始まり、相性や社会的・経済的事情から最終的に同居する「正妻」とそれ以外の「妾」という形にまとまるので、年の差などはケースバイケースなのです。
【関連記事】
- 『光る君へ』で求婚した宣孝。当時3人の女性と子をなし、長男は紫式部と2歳違い…わずらわしくなった紫式部が送った歌とは
- 本郷和人『光る君へ』花山院に矢を放った伊周・隆家兄弟は「左遷」。道隆一族の力が失われるきっかけに…左遷先で彼らはどんな扱いを受けたか
- 下重暁子 藤原道長からいじめ抜かれた定子を清少納言は懸命に守ったが…紫式部が日記に<清少納言の悪口>を書き連ねた理由を考える
- 『光る君へ』政権の座に就いた道長はなぜか「10年間無官」の為時を<最上格の大国>越前守に…まさかの大抜擢に対して広まった逸話とは
- 本郷和人『光る君へ』すれ違うまひろと道長。現実として二人が結ばれた<可能性>を考えてみたら意外な結論に…