KANA-BOON「堺は『ただいまー』と言える大切な場所」
KANA-BOON 大阪・堺への思い「ただいまーと言える場所」撮影・編集:柳曽文隆 THE PAGE大阪
「やっぱり大阪は落ち着きますね」──。今年でメジャーデビュー5周年を迎えた4人組のロックバンドKANA-BOON。高校時代の軽音楽部メンバーから始まり、大阪府堺市にあるライブハウス「三国ヶ丘FUZZ」で育ち、メジャーデビューを果たした彼らにとって、先の言葉は大阪に帰った際にスッと出てくる言葉だろう。これから47都道府県と台湾でのワンマンツアーを控える彼らの思いとは。ラジオ番組出演のため大阪に戻っていたボーカル、ギターの谷口鮪とベース、コーラスの飯田祐馬に話を聞いてみた。 【拡大写真と動画】KANA-BOON 原点の大阪で語った新作「Origin」への思い
KANA-BOONの原点・堺市の「三国ヶ丘FUZZ」
「『三国ヶ丘FUZZ』は19歳のころから歌わせてもらってますね。それまでも高校生のころとかは堺区の『堺Tick-Tuck』とか『堺東Goith』、今は移転してますけど、当時、中百舌鳥にあった『club massive』とか、いろんなライブハウスに出てました」と振り返る谷口。今でも大阪に帰るタイミングがあれば「堺散歩」を楽しんでいるという。 先に出た三国ヶ丘FUZZとは、三国ヶ丘駅や仁徳天皇陵古墳に近くにあるライブハウスでKANA-BOONの原点ともいえる場所だ。 谷口は、時折、その原点の場所にも顔を出し、店長に「おかえり」と声をかけてもらうと「そんな場所がうれしいと思うんですよね」と笑顔をみせる。
煮え切らなかった日々、支えてくれたスタッフ
ライブハウスで歌っていたころ、平日に彼らを含めた4~5つのバンドが出演するブッキングライブに出るのが基本的な活動だった。 しかし、当時は全然人を呼べず、ファンもいなかった。知らないバンドにライブの動員数が10人、ひどい時はもっといない日もあった。谷口と飯田はこれを「バンドあるあるですね」と笑顔で振り返る。 そんな時、三国ヶ丘FUZZの関係者らに「みんなに知ってもらうにはどうしたらいいか」と相談をし、多くのことを学んだ。 この時の様子は、谷口いわく「煮え切らなかった日々」だったそうだ。しかし、そんな日々から抜け出してファンを増やそうと、ライブ終了後に「連絡先」欄を入れたアンケート用紙を配り、次の公演の際は呼びかけるという活動も、谷口が窓口となって行っていた。 「その時ってまだ、今ほどツイッターとかフェイスブックとかSNSが今ほどさかんじゃなくて。けど、こうした広め方をみなさんに教えてもらいました」 そんな彼らの頑張りに、三国ヶ丘FUZZの関係者らも宣伝活動に協力。それに勇気づけられて、自分たちのやる気もみるみる沸いた結果、様々なチャンスをモノにしてメジャーデビューの階段を駆け上がっていくことができた。 「僕らもそうですけど、バンドの始まりは地味」と2人は語るが、もしそうした苦労がなければ、いまの「KANA-BOON」は生まれていなかったのかもしれない。特にこの三国ヶ丘FUZZは、彼らにとっては「自分たちが気を楽にしていられる初めての居場所」「自分たちを育ててくれた」という、かけがえのない場所となっている。