「死者をどう葬るか」という大テーマ
清水寺三重塔。ここから南側(写真手前)に広がる領域が鳥辺野だった(筆者撮影)
「死をどう迎えるか」は、人の永遠のテーマかもしれない。そして、死者をどう葬るかは、生きる側の死生観と大いにかかわってくる。 古代日本人の葬送も、ユニークだ。「魏志倭人伝」に、3世紀の倭国の葬儀の様子が記録されている。 死ぬと棺に納め、土を盛って冢(塚、墓)を造る。人が亡くなると10余日、殯(もがり、埋葬する前に各種の儀礼を行うこと)をする。この間、肉は食べず、喪主は哭泣(こっきゅう)し、みなは歌い舞い、飲食する。葬ったあと、水辺で沐浴する……。 また『隋書』倭国伝には、「貴人は3年間、外で殯をする」と記される。これは、聖徳太子が活躍した頃の様子だ。 同時代の王家の葬儀が『日本書紀』にも記録されている。敏達14年(585)に亡くなった敏達天皇の亡骸は6年の殯をへて、磯長陵(しながりょう、大阪府南河内郡太子町)に葬られたとある。 これだけの期間、埋めずに放置していれば、遺骸は腐り、白骨化していただろう。その過程で悪臭は周囲に漂っただろうに、なぜこのような風習が残ったのだろう。 7世紀後半の天武天皇も、崩御から2年2カ月後に、埋葬されている。
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関裕二