「間に合わなかった…」3人の死を目の当たりに 輪島市で救助活動続ける男性「何ができるか考えて」【能登半島地震】
能登半島地震の発生から1週間。犠牲者は168人にのぼり、現在も被害の全容はつかめていません。災害ボランティアとして現地で活動している信濃町の男性はこれまで3人を救助しましたが、いずれも亡くなり、厳しい現状を目の当たりにしてきました。男性は「支援のため何ができるか考えてほしい」と話しています。
信濃町の災害支援NGO代表・吉村誠司さん(58)。輪島市で活動を続けています。 災害支援NGO代表・吉村誠司さん: 「1995年1.17阪神淡路大震災のあの現場を思い出しましたね」
吉村さんは1995年の阪神淡路大震災でボランティア活動を行い、その後、救助活動や復興を支援する災害支援NGOを立ち上げました。 これまで東日本大震災、熊本地震、台風19号災害などさまざまな現場で活動してきました。
能登半島地震では1日の夕方に重機やチェーンソーなどを積んで長野県を出発。 2日未明に七尾市に到着し、その後、輪島市で活動を続けています。
7日は燃料会社からの要望を受け、灯油300リットルを積んだタンクローリーをがれきの下から出す作業を仲間たちと行いました。
(記者リポート) 「今、車が出てきました」 無事、タンクローリーを引き出しました。 燃料会社の男性: 「どうもありがとう。本当によかった。火のもとになると困りますから、走れるようになったら皆さんに(灯油を)供給したい」
少しずつ、住民のニーズに応える作業へと移行していますが、輪島に到着した際は、大型車両が入れるよう道に散乱したがれきの撤去、そして、輪島市災害対策本部に入り自衛隊や警察と協力して行方不明者の捜索や、倒壊した家屋の下敷きになっている住民の救出に当たりました。
災害支援NGO代表・吉村誠司さん: 「ここの下に、おばあちゃんがはまって。どうしても、はりが乗ってて動かない。夜10時くらい、ジャッキで上げて、出したんだよね。もう間に合わなかった」