水泳との二刀流断念が金メダルのターニングポイントに。偉業達成の北口榛花の支えとなった恩師の言葉とは
競技の順番を待つ間に寝そべってカステラを食べる姿や、チェコ語に堪能な一面が話題になっている陸上女子やり投げの北口榛花(26)。 【写真】伊藤美誠は泣きながら母に伝えた「卓球が嫌になった状態でやめたくない」 五輪選考レースが終わった今だから明かせる当時の思い
競技を始めて約10年。日本初のやり投げ種目金メダルという偉業を達成するまでの道のりは平たんではなかった。陸上に取り組み始めた高校では当初、以前から続けていた水泳との二刀流を選択。その後陸上に専念し圧巻の成績を残したが、大学時代は伸び悩み、東京五輪では12位という不本意な結果に終わった。 そこからはい上がり、さらなる成長を遂げた。その裏には、競技生活の節目で背中を押し、支えとなる言葉を授けてくれた恩師の存在があった。(共同通信=帯向琢磨) ▽水泳と陸上の二刀流 幼い頃から水泳に取り組んでいた北口は、小学3年ごろから地元の北海道旭川市の「コナミスポーツクラブ旭川」に通うようになった。当時はバドミントンに力を入れており、体幹を鍛えることが目的だった。「キックとかの練習についてこられなくて、いつも泣いていた」。指導していた佐藤淳さん(62)の印象だ。 ただ、週に6回ある練習を休むことはほとんどなく、体格もよかった。「いずれ爆発すると思っていた」。佐藤さんのもくろみ通り、中学3年でタイムが伸び始め、全国大会まであと1秒に迫るほどに上達した。北口の母親とこんな話もしていた。「ついに榛花の時代が来ましたね」
それが旭川東高に入ると、陸上部の熱心な勧誘を受けた。顧問だった松橋昌巳さん(69)にとって、定年まであと3年というタイミング。体が大きく、天才的な投てきの能力を持つ北口と出会い「神様っているんだなと真面目に思った」と振り返る。たった2カ月で北海道の大会を制し、「将来はオリンピックに出る資質がある」と確信した。 水泳を優先しつつ、やり投げにも取り組むという二刀流の生活が続いた。しかし、オーバーワークは明らか。ある日、佐藤さんは北口と父親を呼んだ。そして、「今はやり投げが伸びているんだから、そっちに集中しなさい。東京五輪に出られたら最高じゃない」と告げた。 ▽競技人生のターニングポイント 「高校では水泳」と考えていた北口は葛藤し、父親も何とか両立できないかと食い下がった。だが佐藤さんは「ここまで休みなく頑張ってきたんだから」と諭した。もちろん、ここまで育ててきた佐藤さん自身にも迷いはあった。周りからも「何をしてるんだ」と言われた。それでも「このまま続けさせたら故障するだけだ」と自分に言い聞かせた。