桐生一馬は僕らの先生だ!ニンテンドースイッチ版『龍が如く 極』から学ぶ“龍の掟”
10月25日、ニンテンドースイッチ向けに『龍が如く 極』の配信が始まりました。 これはシリーズ第1作のリメイク版ですが、ニンテンドースイッチにとっては初めての『龍が如く』でもあります。親友の罪を自ら被って10年服役した任侠の桐生一馬が、都内にある架空の街「神室町」を舞台に活躍するという内容です。そう、これは言い換えれば“ギャングもののゲーム”。『龍が如く 極』のCEROレーティングはD、つまり17歳以上が対象です。 【画像】人気シリーズの第一歩を、ニンテンドースイッチで! したがって、この前情報だけで一歩引いてしまう方もいるかもしれません。 しかし、『龍が如く』シリーズは「裏の世界」を題材にしているからこその気遣い、そしてシリーズを通じて一貫している「龍の掟」が存在します。 今回はニンテンドースイッチ版『龍が如く 極』をプレイしながら、20年に渡って守られ続けている「龍の掟」を見ていきましょう。これを知れば、シリーズ未経験者も熱狂的な龍ファンになるかも!? ◆違法薬物は扱わない! 古今東西、ギャングが題材のゲームはほぼ必ずと言っていいほど違法薬物が出てきます。 現実のギャングや犯罪集団も、薬物を売ることによって大きなシノギ(利益)を生み出します。19世紀のイギリスが清朝に対して行ったように、薬物は法外な値段をつけることができます。自分の全てを犠牲にしてでもそれを買おうとする人がいるからです。 しかし、『龍が如く』シリーズには薬物を取引する描写は出てきません。主人公の桐生はもちろん、その敵役ですら薬物をシノギの手段として取り扱ってはいないのです。 もちろん、登場人物が薬物を使うシーンもありません。覚醒剤やコカイン、ヘロインだけでなく、大麻も見当たりません。彼らは越えてはいけない一線を認識しているのです。 このあたりは、やはりギャングを題材としたグランド・セフト・オートシリーズ(GTA)との大きな違いでもあります。GTAでは薬物を取り扱う場面が明確にあり、しかも主人公を含めた登場人物もそれを使用しています。このあたりはギャングの世界観を非常に克明に再現していると言えますが、それ故に扱い方・捉え方が難しい内容です。 ◆理由のない喧嘩はしない 『龍が如く』シリーズとGTAシリーズの決定的な違いは、もうひとつあります。それは「主人公が通行人を無差別に攻撃できるかそうでないか」ということ。 GTAシリーズの場合、その気になれば歩道を歩く人を襲ったり、通りすがりの車を強奪することができます。そうすることで警察から警戒されるようになっていき、やがてパトカーや装甲車、武装ヘリからも追われる身に……という内容です。しかし、『龍が如く』シリーズではそういうことは一切ありません。 なぜなら、桐生は「理由のない喧嘩はしない」から。これは作中でも本人が公言しています。 神室町の路上で、桐生はチンピラと肩がぶつかったりもします。その際、桐生は真っ先に手を出したりはせず、「すまん」と謝ってしまいます。しかし、チンピラはそれでは収まりがつかないから桐生に殴りかかる……というのがいつもの展開。 言い換えれば、チンピラも「すまん」と言える人間であれば喧嘩など起こり得ないのです(それができないから“チンピラ”なのですが……)。 また、喧嘩になったとしても桐生は相手を殺すまで叩きのめしたりはしません。戦闘中の演出は豪快そのものですが、桐生に倒された相手は戦闘終了後には何事もなく立ち上がったりもします。 桐生の喧嘩に対する基本方針は、「相手を懲らしめればそれでいい」。そういう意味で、桐生は昔気質の任侠と言えます。 ◆子供は「宝」 『龍が如く』シリーズには、子供が重要キャラクターとして登場します。『1』及び『極』では、9歳の遙という少女がシナリオのキーパーソンです。 桐生は神室町で出会った遥を邪険にすることなく、優しく扱います。そして、遥を始めとした『龍が如く』シリーズに登場する子供たちはいずれも作中で落命したり、粗雑に扱われることはありません。ましてや、現実の繫華街であるような「未成年が路上で薬物を摂取している」という光景は神室町では絶対に起こり得ません。 そうした「龍の掟」が保たれている神室町は、国際的な視点(外国人の目)から見れば「治安の良い繫華街」ではないでしょうか。 筆者は今年2月に米ロサンゼルスへ渡航しましたが、まず感じたのは「治安の悪さ」。リトルトーキョーの近くにはスラム街があり、昼間でも一人で歩くには勇気がいる場所です。夜10時を過ぎると、広い車道にはただの1台も車が通らなくなってしまいます。 仮に「龍の掟」がなくなったとしたら、そこに訪れるのは「荒廃した神室町」ではないでしょうか。 ◆我々も実践できる「龍の掟」 そんな「龍の掟」は、突き詰めて考えると我々の実生活に取り入れることも可能ではないか……と筆者は考えています。 人間は、その素行だけで個人の本質そのものを判断することはできませんし、してはいけません。しかし、どんなに素行が悪くとも「踏み越えてはいけない一線」を予め設けることで、自分と他人の尊厳を最後まで守り通すことができるはず。 そうしたことを、桐生一馬は言葉ではなく行動で教えてくれます。
インサイド 澤田 真一
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