“友人の母親”に父を奪われて「その友だちを殺そう」と決意…小2で“父親に捨てられた”芸人(47)が明かす、殺意を抱くほど苦しんだ学生時代
「栄養失調じゃないか」と心配されるほど痩せてしまった
――健康面に影響はなかったのですか。 フジタ みるみる痩せていきましたね。栄養失調だったのか、毎日熱っぽくて歩いているだけでも息切れがして、下痢が続くようになりました。同級生のお母さんから「栄養失調じゃないか」と心配されたり、食費分のお金を借りたりすることもありました。 それから数ヶ月経って、ようやく父親が異変に気付いて食費の支給が再開されるようになりました。 ――当時、ご親族などで心配してくれる方はいましたか。 フジタ 父親のお姉さん、僕の伯母に当たる人はすごく良くしてくれて、父親に対して「家に帰れ」とずっと説得してくれていましたね。K君のお母さんのことを、本当にひどい人間だと言ってくれていましたし、味方でいてくれました。 ただ、伯母が父親のことで泣いているのを結構見たことがあったので、父親のことが怖かったんだと思います。だからあまり強くは言えない、という事情はあったのかもしれません。
20代になってから、父親と絶縁状態になって…
――その後も、K君親子との家族の関係は続くんですか。 フジタ 中学くらいになるともう家族で集まることもなくなって、多分K君が嫌がるようになったんだと思いますけど、会うことはなくなっていきましたね。 僕は中学を卒業して、高校を1年生のときに辞めたあと、お笑い芸人を目指すようになったんです。それから20代になって実家から引っ越して、僕が一人暮らしをするようになってからは、父親ともほとんど絶縁状態になりました。 ――連絡を取ることはあったんですか。 フジタ たまに連絡がくることはありました。「元気か」みたいな電話くらいですけど。ただ実家にはK君とその子ども、そしてK君の母親が居座っていたので、僕の入る隙はなかったし、あまり行きたくなかったので。 ――お父さんとK君の母親は、結婚しなかったのですか。 フジタ 向こうは相続のことを考えて結婚してほしがってたみたいですけど、兄の大反対があったので、父は籍を入れなかったようです。兄は戸籍上、どうしても内縁の妻(K君の母親)の子どもになることは避けたかったようですし。