両親の自己破産で「奨学金225万」借りた女性の顛末とは? 金銭的理由で志望校断念も、それでも求めた「大卒」そしてその後の「人生」。
将来の夢もすでに決まっており、専門学校より幅広い学問を学べそうだと思い、クリエイターに特化した科目・専攻がある私立大学を志望していた。ところが、事態はまた大きく変わってしまう。 「母から『学資保険に入ったよ』と聞いたので、安心していたのですが、実は入っていなかったことが後から判明しました。もしかしたら家計の状況で解約したのかもしれませんが、聞いていませんでした。 母は着服した前科があるのに、お金に関して楽観的というか無自覚というか。きちんと伝えてくれませんでした。
そうすると、父の少ない給料でなんとか高校を卒業できるかどうかという状態だったので、将来設計を考え直す必要も出てきます。高校卒業後は就職という道もありましたが、大卒給のほうが将来的に安心できると思って勉強を頑張っていたのと、親の事情で進学を諦めるという決断ができませんでした」 ■高校3年生で初めて知った奨学金という存在 すでに乗りかかった船である。今さら降りることはできない。そんな中、栗原さんは高校3年生で初めて奨学金という存在を知ることになる。
「当時はインターネットもなかったので、なにか調べ物をするときは先生に聞くか、本を読むことしか方法がありませんでした。そんなある日、担任の先生がホームルームで『第二種奨学金(有利子)の締め切りが近いので、応募する人は早めに申請してくださいね』と、クラスに呼びかけたんです。そこで、『大学進学を諦めなくてもいいんだ!』と安心することができました」 その先生からの案内があった時点ですでに第一種奨学金(無利子)は締め切られていたため、早急に第二種の申請をすることになる。
「そのときは文化祭実行委員のOGとして生徒会を手伝いながら、受験勉強をしていました。また、生徒会の顧問の先生が奨学金を担当されていたので、同時に奨学金申請のための対策の相談にも乗ってくれていたんです」 「対策もなにも第二種であれば普通に借りられるのでは?」と思う読者も多いだろう。ただ、栗原さんが高校生だった90年代後半は第二種が「きぼう21プラン奨学金」と呼ばれていた時代でもある。現在とは異なり、小論文と面接があったという。