両親の自己破産で「奨学金225万」借りた女性の顛末とは? 金銭的理由で志望校断念も、それでも求めた「大卒」そしてその後の「人生」。
そんな懐事情のため、栗原さんは高校入学早々、飲食店でアルバイトに励むことになる。ところが、人生は思い通りにはならない。 「中学生のときに腎臓を悪くしてしまったのですが、それが再発してしまい、高校1年生の夏休みに入院することになりました。必然的にバイトも辞めなくてはならなかったのですが、退院後に新しいバイト先を探そうと思っても、面接で正直に入院していたことをいうと、毎回不採用になってしまいます」 そこで、栗原さんは「本分」である、学生生活を積極的に楽しむことにした。
「仲のいいクラスメイトと学校行事に参加したり、手伝ったりするだけでなく、最終的には生徒会に誘われて、学校行事を企画・立案する立場になりました。もう、バイトも決まらないので、学生時代は生徒会に全力でしたね」 まさに「アオハル」……と書きたいところだが、その一方で家に帰れば家計は火の車。高校は奨学金を借りずに通えたが、それはそれとして家には督促状が届く日々。授業料は銀行口座から引かれる方式だったのだが、残高不足で事務室に呼ばれることもあった。そんなときは、なんとか父親が現金をかき集めて納めていた。
「家計が芳しくないことはわかっていましたが、父はそのことを言わずに私と妹を育ててくれました。もし、本気で『お金がないんだ』と言ってくれたら、入院していたことなど言わずに、もっと必死にバイトを探して働いていたと思います」 ■大学進学は学資保険を当てにしていたが 自らのせいではないが、常にギリギリの生活を送っていた栗原さん。それでも高校卒業後は大学進学を見据えていた。 「昔から両親に『あなたは大学に行くんだからね』と言われて育ったため、私も当然進学する気満々でした。当時はIT革命を『イット革命』と呼び間違えた森喜朗が首相だった時代。Webに関するクリエイティブな仕事が出始めていたため、私も大学を卒業してそういった仕事に就きたいと思っていました」