松本人志、ツッコミどころだらけの独占インタビューに批判殺到!「世間の空気を読み違えた」5つの発言
「前向きな何かを感じてくれるなら」他ならぬ自分が動きたいのでは?
②<もしそれで前向きな何かを感じてくれるなら、伝えたい。その思いがあって、この場を設けてもらいました。> これは完全に世論を読み違えています。なぜなら、まだ世間は松本人志から「前向きな何か」についての発言を聞きたいとは思っていないからです。 厳しい言い方をすれば、まったく禊(みそぎ)が済んでいないと見ている。その禊とは、裁判を通じて、法の下で白黒つけることであったはずですが、その機会を自ら途中で放棄してしまいました。 ここで松本は読み手に向けて「前向きな何かを感じてくれるなら」と言っていますが、それは「前向きな何か」に向けていちはやく動き出したい、他ならぬ自分のことを言っているのではないでしょうか。自分の先走る思いを、あいまいな他者のものだとすり替えている点が姑息(こそく)なのです。
裁判が「どんな結果なら納得」という勘違い
③<世間の皆さんがどんな結果なら納得するのか。> 裁判についてのコメントですが、これも勘違いも甚(はなは)だしい。何のために裁判が行われるのか全く理解していないことが浮き彫りになっています。 言うまでもなく、判決は世間が納得するかどうかで決まるものではありません。 結局、お笑い芸人としての自らのキャリアだけが大事なのであって、それにはスポンサーを動かす「世間の皆さん」の声が欠かせないというのが本音なのでしょう。 “俺の笑いがわからないヤツはバカ”と公言していた若い頃とはだいぶ変わりました。成長したってこと?
独占取材は「一番伝わる」=イエスマンのみで異なる意見は排除
④<自分の言葉を待ってくれている人たちに一番伝わるであろうやり方を選ぼう。そう考えたのが今回の取材だったんです。> これは、イエスマン以外は介在させないとカッコよく言っただけです。 松本人志的な笑いにも通じることですが、異なる意見を持つ他者が存在しないのですね。そうした異分子を排除することで、独自の価値観を構築してきたわけです。その濃密なカルチャーは熱狂的なフォロワーを生んだと同時に、暴走した際のストッパーを失う原因にもなりました。文春が報道した内容の一端も、そこにあるのだと思います。 ポジティブな気分を表現しているように見えますが、結局本質は何も変わっていないことをまざまざと見せつける発言だと言えるでしょう。