大谷翔平 ドジャースにあったWinning Spirits 赤から青へ…エンゼルスとの決別
<SHO-BLUE ワールドチャンピオン特別編> 日刊スポーツでは今季、毎週火曜日に「SHO-BLUE」と題した企画を掲載してきた。ドジャーブルーの青きユニホームで挑戦を続ける大谷翔平投手(30)の世界観に、さまざまな角度からアプローチしてきた。「SHO-BLUE WORLD CHAMPION 特別編」として、夢の1つ「世界一」を実現させた大谷選手のメジャー挑戦7年間をあらためて読み解いていく。第2回は「赤から青へ エンゼルスとの決別」。 【動画】大谷翔平 ファンを前に英語でスピーチ、大歓声をあびる ◇ ◇ ◇ ただ、ひたすら欲してきたものに対し、大谷は入念に狙いを定め、がっしりとつかみ取った。米移籍7年目。花巻東時代からメジャー挑戦を目標にしていた大谷は、30歳にして頂点へたどり着いた。これまでの道のりが順調だったのか、遠回りだったのか、は分からない。ただ、「世界一」はクリスマスプレゼントのように、他人から与えられるギフトではない。だからこそ、大谷はその一点から視線を外すことなく、人生の分岐点で自らの思いに忠実な決断を下してきた。 6年間在籍したエンゼルスからFAとなった昨オフ、大谷は空前の争奪戦の末、プロスポーツ史上最高契約でド軍移籍を発表した。昨年12月に行われた入団会見では「野球選手として、あとどれぐらいできるか、というのは正直、だれにも分からない」と、初めて自らの野球人生の行く末に触れた。球史に名前を刻んだ名選手でも、チャンピオンリングどころか、WSの舞台を経験することなく、ユニホームを脱いだ選手は少なくない。右肘の手術後でもあり、「二刀流」こそひと休みするものの、選手として脂が乗り始めた時期に10年契約を提示された。「勝つことが一番大事」と自らの欲と本能を明快な言葉で明かし、常に勝利を求め続ける球団の哲学を確認したうえで、ドジャーブルーに染まる決意を固めた。 大谷の熱意に応えるかのように、ド軍は補強の手を緩めることなく、戦力整備を進めた。投手史上最高額となる山本由伸と12年総額3億2500万ドル(当時レートで約455億円)で契約したのに加え、グラスノー、T・ヘルナンデスと、投打の幹となる選手を布陣に加えた。 開幕以来、地区首位を快走した一方、中盤までに故障者が続出したことを受け、7月末のトレード期限前には、先発フラーティ、救援右腕コペック、内外野を自在にこなす両打ちのエドマンを獲得。手薄な領域に厚みを加え、優勝争いの終盤とポストシーズン(PS)への準備を進めた。この3人が終盤戦とPSで大活躍。特に、ド軍が長い間、獲得を狙っていたエドマンは、ナ・リーグ優勝決定シリーズでMVPに選出され、WS進出の原動力となった。選手の能力や状態を見極めるスカウトら編成担当の調査力と交渉術がメジャー屈指であることを、あらためて実証した。 10年契約を結んだ一方、大谷の願望は「一度でもいいから」ではなく、常に優勝を争うことだった。年俸の大半を「後払い」にしただけではない。経営トップのマーク・ウォルター氏、編成トップのアンドリュー・フリードマン編成本部長が大谷在籍中に途中退任した場合、オプトアウト(契約見直し)が可能となる条項を盛り込んだ。交渉でウォルター氏は、過去数年間、毎年のようにPSへ進んでも「満足していない」と訴えた。大谷はその経営トップが持ち続ける「ウイニング・スピリッツ(勝者の魂)」に感銘を受け、契約書にペンを走らせた。一般の会社と同様にトップが代われば、経営方針が変わる可能性もある。常々、大谷が「全員が同じ方向を向いていることが大事」と言い続けてきたのは、クラブハウス内のユニホーム組だけでなく、背広組やサポートするスタッフを含めたド軍の組織全体を指していた。 勝つためには、組織に何が重要か-。過去6年間、大谷はずっと考え続けてきたに違いない。ただ、当時のエンゼルスには、それらの必要な要素が、そろってはいなかった。【四竈衛】