日本人は貯金が好き。でも…実際には「貯められない人」が多い残念なワケ【行動経済学】
お金を貯めなければいけないとは思いつつも、なかなかうまくいかない……そんな悩みを抱えている人は少なくないでしょう。欧米諸国と比べて「貯金が好きな国民」というイメージもある日本人ですが、いったいなぜ「貯められない人」が多いのか。橋本之克氏の著書『世界最先端の研究が教える新事実 行動経済学BEST100』(総合法令出版)よりみていきましょう。行動経済学を活用した貯金システムも紹介します。
日本人が“貯金好き”になったカラクリ
「江戸っ子は宵越しの金はもたない」という言葉は有名です。この時代は、こそこそとお金を貯め込むのは粋ではない、という風潮でした。実際にコツコツ貯蓄する庶民は、あまりいなかったようです。 現代の米国と同様に日本人は、元々貯蓄に積極的だったわけではありませんでした。これが変化したのは明治維新がきっかけです。 新しい日本ができる際に、国家主導で貯蓄の習慣を普及させることになりました。郵便局が貯金を扱う英国の仕組みを取り入れて、1875年に郵便貯金制度が始まりました。貯蓄より消費という江戸時代からの習慣がありましたから、定着には時間がかかりました。 その対策として、政府が高い金利をつける、地域の名士を郵便局長にするなど様々な方法が用いられたと言われています。 その後、近代化が推し進められて日本は工業中心の産業振興、憲法制定、日露戦争の勝利などを経て列強の1つとなります。 さらに、後の太平洋戦争勃発を控えた1938年には国家総動員法が制定されます。政府が国のあらゆる人的物的資源を統制運用できるようになったのです。 日露戦争では英国や米国から公債を募集して軍費を調達しましたが、今回は国民に頼らざるをえません。政府の財源を賄うために、1939年には天引きによる強制貯蓄制度が始まりました。 また1940年には、やはり天引きによる源泉徴収制度も成立します。国民のお金を確実に供出させる手段として、天引き制度が始まったのです。 太平洋戦争が終わった後も政府は、戦後復興の資金を確保するために救国貯蓄運動を展開し、「貯蓄は美徳」の概念を国民に広く浸透させました。全国の小中学校で「子ども銀行」を学校指導で進めるなど、教育機関も巻き込みます。様々な方法で国民が貯蓄に励むよう促したのです。 こうした経緯を見ると日本における貯蓄は、近代化や大戦前後などの歴史の中で、国主導で習慣づけられたものと言えそうです。 こうして戦後の日本は、世界でも貯蓄率の高い国になりました。1975年には23 .1%という記録を作り「日本人は貯金好き」という印象を世界に与えます。
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