歴史的な集団レイプ裁判終了も、女性に対する根深い構造的暴力 仏
(CNN) フランス社会を揺るがせ、性的暴力や同意に関する深い内省を迫った歴史的な公判「ペリコ集団レイプ事件」。 【画像】9月11日の公判に出廷したドミニク・ペリコ被告のイラスト 公判を巡っては、社会・文化的な激震、女性を巡るフランスの構造的問題の清算と形容する声が多い。公判の中心にいた被告の男51人は全員、互いに半径48キロ以内に住んでいた。首謀者のドミニク・ペリコ被告は10年余りにわたって当時の妻ジゼルさんに薬物を投与し、見知らぬ他人を招いて性的暴行を加えさせていた。 この小さな地理的範囲に、暴力と女性嫌悪の全世界が集中していたことになる。 19日、数百人が南仏アビニョンの緊迫した法廷に詰めかけ、法廷内の各所に散らばって被告の運命に耳を傾けた。被告らの行動はジゼルさんとその家族の生活を一変させただけなく、国そのものを変化させた。 男ら49人がレイプ、2人が性的暴行で有罪判決を言い渡された。4人は児童への性的虐待を捉えた画像を所持していた罪でも有罪となった。 男らは前科のある犯罪者ではなく、「ムッシュー・トゥー・ルモンド」(ありふれた男)と呼ばれるようになった。年齢は26歳から74歳で、看護や軍、ジャーナリズム、刑事施設などで職に就いていた。 だが、レイプを捉えた数百本の動画や計画を露呈させるテキストメッセージ数千本など、被告側に不利な圧倒的な証拠がそろっていたにもかかわらず、有罪を認めた男はわずか十数人だった。被告の多くは、ドミニク被告――ジゼルさんではなく――の同意で十分だと考えて犯行に至ったと証言した。 犯行の凄惨(せいさん)さに加え、実行犯は「ありふれた男」だったとの見方から、性的暴行の常態化に関する国家的な議論が進んだ。 ドミニク・ペリコ被告は今回の罪状で最長となる禁錮20年、他の被告は3~15年の刑期を言い渡された。一方で、執行猶予を終えて自由の身となった被告もいた。 量刑の厳しさが十分ではない、犯行の恐ろしさを考慮に入れていないと指摘する人も多い。禁錮刑は下されたものの、犯行現場となった南仏の村マザンに住む女性の間では、何か具体的な変化がなければ、明日また同じことが起きる可能性があるとの声が上がる。 マザンの住人ネデリカ・マカンさんは「何が変わったというのか? メンタリティーは変わっていないし、法律も変わっていない。以前と同じなので、安心できない」と語った。 ジゼルさんは実名を明かし、裁判を一般公開することで、レイプ文化を変える一助となることを期待していた。虐待の凄惨な証拠を目にするのがいかに苦痛であっても。 フランスの女性団体に所属するサラ・マグラスさんはCNNの取材に、「裁判を公開したのは一つの選択だった。ジゼルさんは他の女性への奉仕の精神からそれを行った」と語った。 この奉仕と勇気、不屈の姿勢から、ジゼルさんはフェミニストの英雄、「相手側を恥じ入らせる」決意をした人物となった。 「国際的にはしばしば、フランスは女性の権利に関して非常に進歩的な国との評判が聞かれる」とマグラスさんは指摘。「ご存知のように、中絶の権利を憲法に明記するという点ではこれは事実で、大きな前進となった。だが性的暴力に関しては、欧州の近隣国に遅れを取っているのが実情だ」との見方を示した。 データを見ると、フランスでは性的暴行の被害者は名乗り出ない傾向にある。レイプ被害者のうち、司法制度に被害を届け出る人はわずか10%。マグラスさんによると、これらの届け出のうち、有罪に至るのは1~4%にとどまるという。 ジゼル・ペリコさんは今回、まさにこうした被害者に対し、名乗り出て変化を求める勇気を与えた。この3カ月はフランス全土の人に内省を促し、同意とは何なのかを再考することを迫った。公判がきっかけとなり、レイプ文化やそれを変える方法を議論する必要に迫られた。 今回の公判はフランスの歴史上画期的な出来事だが、活動家や弁護士は、歴史の醜い一章に終止符が打たれたわけではなく、むしろ同意が学校で教えられ、刑法に明記される新たな時代の幕開けになると強調する。 女性の権利の活動家はいま、ジゼルさんの行動への呼び掛け、その楽観主義の波に乗っている。 ジゼルさんは19日に法廷を後にする際、今回の公判について「男女が調和し、互いに尊敬の念をもって暮らせる未来」は実現可能だということを示したと語った。 この機会を生かして、実現に結びつけるかどうかはフランス次第だ。 ◇ 本稿はCNNのサスキア・バンドーン記者による分析記事です。