涙もろさが加速して生活に支障が…「泣き」ポイントはふいにやって来る
赤べこが倒れる物悲しさ
歳をとると涙もろくなるというけれど、子どもの頃から人一倍涙もろい人の場合はどうなるんだろう、と漠然と思っていた。なぜなら自分がまさにそうで、小学生のときから学芸会の劇に感動して泣き、『ごんぎつね』の結末が悲しくて泣き、誰ひとり知っている先輩のいない卒業式で誰よりも泣いてきたタイプだからだ。 さすがに大人になってこれ以上涙もろくなることはないだろうと思っていたが、30歳を超えてわかってきたこととしては、涙もろさというものにはどうやら天井がない。年々、どんな小さなことにも泣けるようになってきていて、これはほんとうにまずいんじゃないか、と薄々感じている。 いちばん最近、自分でも驚いたのは、赤べこが倒れるのを見て泣いてしまったことだ。 ある日YouTubeを見ていたら、おすすめ欄に表示されたある動画のサムネイルに目を引かれた。それは幼児向け番組の公式チャンネルがアップした動画のようで、切り分けられたスイカが真横に倒れており、「いろんなものがたおれるよ!」とテロップがついている。 ドールハウスやミニチュアサイズの家具をつくる動画が好きで日頃から見ているので、その影響で子ども向け番組もおすすめされたんだろうな、と思いながらなんの気なしに動画をクリックした。動画のなかではテンポよく、さまざまな玩具や雑貨が「どてっ」や「ぱたっ」といった効果音とともに倒れていく。 ただそれだけの映像なのだけれど、大人でもじっと見続けてしまうような不思議な魅力があった。スイカや湯たんぽ、大きなサイズの積み木といった重量感があって安定しているものは、バタンと派手に倒れ、そのあとは微動だにしない。一方でティッシュケースやぬいぐるみのようにやわらかくて軽いものは、すこしだけ左右に揺らぎながらゆっくりと倒れる。タイトルには「赤ちゃんが泣きやむ」というワードも含まれていて、たしかにこれは子どもなら夢中になって見てしまうだろうなと納得した。 しばらく見続けていたら、画面に赤べこが映った。赤べこは「ころん」の効果音とともに軽々と横転したあとで、背中のほうが重いのか、すぐにお腹を天に向けてひっくり返った。その様子はまるで大きな足音か何かに驚いて立ちすくみ、自分の身を守るために仕方なくそのポーズをとっている小さな動物のように見えた。倒れたあとも首だけは上下にふらふらと動いているのが弱々しい。え、赤べこって倒れるとこうなるんだ……と思った次の瞬間、私の目には涙が浮かんでいた。 ふだんはひょうきんで、どこかふてぶてしさも感じさせるような出(い)で立ちで首をひょこひょこ動かしている玩具が、あまりにあっけなく倒れてしまう様子にさみしさや痛々しさを感じたのだろう。言葉で一応そう説明はできるものの、冷静に考えてみるとまったく泣くような動画ではなかった。そもそも「赤ちゃんが泣きやむ」という趣旨の動画で、大の大人が勝手にめそめそ泣いているのはちょっと怖いし制作者に失礼な気もする。だめだこれは、よくない……と慌ててパソコンの画面を閉じた。 先日は、耳に入ってきた他人の会話で泣いてしまった。 朝、仕事をしがてら朝食をとろうと思って喫茶店にいたら、私の隣の席に赤ちゃん連れのふたり組が座った。海外からの観光客の方のようで、コーヒーを飲みながら和やかに会話している。お父さんと思(おぼ)しき男性がテーブルの上のパンに手を伸ばした瞬間、膝の上でスヤスヤと眠っていた赤ちゃんが目を覚まし、大声で泣きはじめた。お父さんたちがしばらくなだめたり揺すったりしたものの、赤ちゃんはなかなか泣きやまない。 通りかかった店員さんに、ふたり組の女性のほうが「Sorry」と英語で声をかけた。そんな、べつに謝らなくていいのになあと内心思っていると、店員さんは晴れやかな顔で笑い、ふたりに大きな声で言った。 「babyはcryingがworkですから、ぜんぜんOKよ!」 その言葉を聞いた瞬間、私は頬の内側の肉をぎゅっと噛み締め、必死で涙をこらえた。抵抗虚(むな)しく目には大粒の涙が溜まってきて、これはまずい、と思う。私はいちど席を立ち、お店のお手洗いのなかでしくしく泣いた。なんでこんなことで……とはもはや思わなかった。 店員さんはおそらく英語が流暢には喋れない方なのだろう。でも、子どもが泣くのは自然なことでまったく問題ないですよ、お父さんもお母さんも気にしないでください、とどうにか伝えようとして、その100%の善意があの言葉として出てきたのだ。よすぎる。なんていい店、なんていい人なんだ……と私は感激してしまって、びしゃびしゃになった顔をペーパータオルでしばらく拭き続けた。 昔からその傾向は強かったものの、ここまで涙もろくなってくるとさすがに、日常生活に支障が出つつある気がする。そんな話をパートナーのAくんにしていたら、Aくんはうんうんと私の話を聞いたあとで、「でも僕も、昔よりは涙もろくなってきてるかも」とつぶやいた。やっぱりそういうもの?と尋ねると、僕はね、とこんな話をしだした。 なんでもAくんは駅のホームの柱に貼られている、「駆け込み乗車は危険」的なポスターを見るのがつらいらしい。東京メトロが注意喚起のために毎年つくっているポスターで、数年前からはその年の干支の動物が電車のドアに挟まれ、痛そうな顔をしているのが恒例になっている。言われてみるとそんなポスターあったね、と私が頷くと、Aくんは心底悲しそうな顔で言った。 「なんで龍が電車のドアなんかに挟まれなきゃいけないんだ。そんなことのために干支になったんじゃないだろうに」 たしかにね、と私が笑っていると、Aくんは顔をぎゅっと真ん中に寄せ、泣きそうな顔で「来年はどうせ蛇が挟まれるんや、あんなに細い体で。かわいそうに……」と言う。その様子があまりに悲痛そうだったので、私は若干笑いそうになるのをこらえながら、ほんとにねえ……と調子を合わせた。Aくんってやさしいよな、と思うと同時に、人が泣きたくなるポイントって本当にいろいろあるんだな、と知り、私はちょっとだけホッとする。(エッセイスト 生湯葉シホ)