「オリンピックもやらねんだもん。無理だよな」――祭りの「消えた」街、来年の確約もできない中で【#コロナとどう暮らす】
最初は対岸の火事だった
「戦争は乗り切れたようですが、コロナには勝てませんでしたね……」 こう苦笑いするのは、神主の石崎貴比古さん(42)。宮司を務める父の雅比古さんと二人三脚で、総社宮の運営を切り盛りしてきた。まさか、こんな年になるとは思ってもみなかったと話す。 「例大祭は当宮の行事の中で最も重要な祭りです。一部の神事を残して、神振行事を実施しないという決断は辛かったです」
氏神である総社宮、そして氏子となる市民が一丸となって実施する例大祭。その準備は、前年から始まる。今回も、昨年末に数十人におよぶ関係者の顔合わせを済ませ、衣装の発注や山車の準備なども進んでいた。 石岡のおまつりでは、15の町が順番に全体を取り仕切る「年番」制を敷く。今年の年番だった中町の祭典委員長、山本経則さん(55)は当時をこう振り返る。 「最初の顔合わせのときは、コロナのコの字もなかった。年が明けて2月くらいの段階でも、クルーズ船がどうとか、都内で感染者が出たとかニュースでは見てたけど、あくまで遠くの話のように思っていたよね」
「危機感のようなものはなかったように記憶してます。対岸の火事というか」(木下さん) 「できるだけいつも通りにやりたい」――多少の温度差はあっても、関係者の意思は一致していた。石崎さんは言う。 「(対策など)できるだけぎりぎりまで状況を注視して判断したい、中止にしたら影響は計り知れない、そう思っていましたね」
ところが3月に入り、状況は大きく動く。茨城県で感染者第1号が出た。そして、東京五輪の開催延期が決定。これが一つの分水嶺になった。 「オリンピックもやらねんだもん。無理だよな」 誰とはなしに、こんな声が聞かれるようになっていく。 ただ、それでも例大祭は9月、半年後だ。まだ実施しないという判断を下すのは早すぎはしないか。市民の思い、各地に散らばる出身者、そして千年来の伝統を背負う神事でもある。山本さんは言う。 「最終的な準備期間を考慮すると、7月末までに可否判断できれば間に合う計算でした。年番だし、やれるものならやりたかった。それなりに準備も進めてましたからね」