学者を目指した若者はなぜ漁師になったのか 故郷の海で感じる生態系の変化とは
天橋立のある宮津湾。風光明媚(めいび)な湾をフィールドに父親の本藤靖さん(62)と船に乗って漁業に励む。かご網を仕掛けて貝やイカを捕り、刺し網を設置してクロダイやカサゴを狙う。いかだでアサリの養殖にも取り組む。「宮津湾は海底から湧き水がわき、阿蘇海の栄養塩が流れ込む。いろんな海の魚を食べてきたけど、宮津湾の魚が一番おいしい。脂の乗りもよく、臭みもない」と誇る。 本藤脩太郎(ほんどう・しゅうたろう)さん(28)は、漁師になって4年目。地元では唯一の20代だ。以前は生物の進化に興味を持ち、古生物学研究を志して高知大、愛媛大大学院に進学。貝やアルマジロの化石をテーマに論文を執筆する日々を送った。「研究も楽しかったけど、ビジネスもやってみたい気持ちがあった」と振り返る。 院生の時、靖さんから「一緒に漁師をやらないか」と誘われた。「漁師も高齢化が進んでいて、古里の魚を取る人がいなくなったらさみしい。海の環境や生態系に関わる漁師になって宮津湾を守り、引き継いでいきたい」と進路を決めた。 宮津湾では7月から天然のトリガイの桁(けた)網での漁、冬場は漁獲を制限する資源管理をしながらのナマコ漁に打ち込む。天然マガキも豊富だ。「朝日を浴びながら仕事ができるのが気持ちいい。自分で取ってきた、おいしいものを食べられるのも最高」とほほえむ。靖さんは「良き相談相手で、一生懸命頑張ってくれている」と喜ぶ。 湾では磯焼けを引き起こす熱帯系のウニ・ガンガゼが増え、温暖化による生態系の変化と感じる。「ガンガゼを駆除するにも人手が足りない。山の木を沈めて魚礁を作る活動もしたい。若手の漁師が増えてくれたら」と、豊かな海を守る同志を待ち望む。