日本武道館でライブする魅力を藤井フミヤさんに直撃
ヤッホーみんな! 僕、キニナル君。音楽愛する大学生♪ 将来の夢は音楽でごはんを食べていくことだよ。でも、正直わからないことばかり。だからこの連載を通して、僕が気になった音楽にまつわるさまざまな疑問を専門家の人たちに聞きに行くよ。 【動画】「紙飛行機」藤井フミヤ 日本武道館 LAST COUNTDOWN PARTY 2018-2019より(他12件) やっぱり音楽を志すものとして、いつかは日本武道館のステージに立ちたいよね。なんてったって誰もが憧れる聖地だもん。でもさ、日本武道館でのライブって何がそんなにいいんだろう? いくら考えてもわからないので、チェッカーズ時代から111回も日本武道館のステージに立ち続けている大大大先輩・藤井フミヤさんにお話を聞いてきたよ! 取材・文 / キニナル君 イラスト / 柘植文 ■ 武道館ライブは危険と判断されるとサイレンが回って中止になる ──今日はよろしくお願いします! ミュージシャンにとって日本武道館はライブの聖地というイメージがあると思うんですけど、フミヤさんは音楽活動を始めた当初、日本武道館にどんな印象を持ってました? 俺がチェッカーズの活動を始めた1980年代前半は武道館が最高峰のライブ会場だったよ。東京ドームもまだなかったしね(※東京ドームのこけら落としは1988年)。 ──何をきっかけに武道館を認識したか覚えてます? 気が付いたら知っていたから、フェードインだよね。自分でやる前に誰かのライブを観に行ったのかな。でも初めて武道館に行ったときの記憶はもうないなあ。 ──初めて武道館のステージに立ったときのことはさすがに覚えてますよね……? もちろん。チェッカーズでデビューしてから2年後の1985年の年末で、やっぱり俺らの世代はThe Beatlesの影響がデカかったから、「ここでThe Beatlesがやったんだ」っていう思いはあったね。あと天井から吊るされてる日の丸が印象的だったし、あの頃はまだ紙テープを投げていい時代でね。今はもうやらなくなっちゃったけど。 ──その代わりにフミヤさんのライブでは紙飛行機を飛ばすんですね! 映像を観させてもらって、めちゃくちゃ壮観だなと思いました! ありがとう、素晴らしい景色だよね。 ──チェッカーズの解散ライブも武道館が舞台だったんですよね? 東京ドームでもできたとは思うけど、それよりも武道館で終わりたい気持ちがあって12月25~28日にかけて4DAYS公演にしたんだと思う。解散ライブのときはね、俺40℃近く熱があって、もう声も出なくてさ。「ただで終わらせてくれないな」って思った記憶がある(笑)。 ──うわー大変……。 でも大晦日での解散が決まっていたから延期もできなくて。だからライブが終わったら病院に行って点滴を打って、朝また病院で点滴を打ってからステージに立つ、みたいな4日間だったんだ。 ──プロ魂がすごすぎて頭が下がります! その後ソロとして武道館のステージに立ったときはどんな心境でした? 解散した場所だから「またここに帰ってきた」っていう感覚はあったな。まあ解散ライブの1年半後だったから比較的すぐだったけどね。そうそう、武道館ってね、昔はステージの隣に机が置いてあって武道館の人が座ってたんだよ。それでお客さんが収拾がつかない感じになって危険だって判断されると、その人がスイッチを押してサイレンが回り、演奏を中止しなきゃいけないっていうルールがあって(笑)。 ──えー!! 初めて聞きました。ただの脅しじゃないんですか? スタッフ いや、目立つところに本当に警報機が置いてありましたね。 実際に回ったところは俺も見たことないけど、本当に危険なときはボタンを押して公演を止めるって言われてね。わからないけど、1970年代からハードロックバンドなども武道館でライブをしていたし、何か危ないことがあったのかもね。 ■ 日本の夜明けを感じるカウントダウンライブ ──これまでの111回公演の中で特に思い出深いライブはありますか? 今話したチェッカーズの解散ライブはもちろん、初めてのカウントダウンライブとか、最近だと還暦ライブも印象に残ってるよ(参照:藤井フミヤ武道館カウントダウンに1万4000人集結)。 ──1999年から日本武道館の改修工事を控えた2018年の年末まで、途中お休みを挟みながら約20年に渡ってカウントダウンライブをやっていたんですよね。実は僕のお母さんがフミヤさんのファンで、行ったことがあるって言ってました。 そうなんだ? ありがとう。特に始めた頃は世の中的にまだほとんど誰もカウントダウンライブなんてやってなかった時期でさ。当時武道館は「24時間テレビ」以外、夜中は使えなかったんだよ。だけど長年お世話になっていた館長さんが定年退職するタイミングで「フミヤだったらいいよ」って置き土産的な感じでOKしてくれて。 ──めちゃくちゃ粋なはからいですね! ありがたいよね。ただ1つ勘違いしてたことがあって。我々の世代は21世紀にものすごい憧れがあったんだ。21世紀って「未来がやってくる」というイメージがあって……まあ実際には何も変わらなかったんだけど(笑)。それで、俺はなぜか1999年から2000年に変わるタイミングで21世紀になると思ってたの。本当は翌年からが21世紀なんだけど、それに途中で気付いて。でももう開催することにしちゃったから、やるしかないということで1999年に始まったんだよね(笑)。 ──なんと大いなる勘違い……! そうそう(笑)。それにしても日本武道館でのカウントダウンライブって最高なんだよ。すぐ近くに皇居や国会議事堂があって、靖国神社や丸の内のオフィス街もあって、ある意味日本の中心みたいなところでしょ? そこでカウントダウンしたあとに館内の日の丸にライトを当てて「君が代」を歌うっていうのを恒例でやっていて、何かの集会みたいだけど(笑)、日本の夜明けを感じるんだよね。 ──そういえば日本武道館の屋根は富士山の稜線を模してるって聞いたことがあります! 富士山も日本のシンボルですし、そういう意味でもなんかイメージが重なりますね。 へえ、そうなんだ。 ──2年前に開催した還暦ライブはどんなところが印象に残ってますか?(参照:還暦になっても“未完成”の藤井フミヤ、「歌えるところまで歌います」と誓った誕生日の夜) 「この歳まで歌ってるとは思わなかったな」っていう感慨深い気持ちと、あとは客席がものの見事に真っ赤だったんだよ。還暦にちなんで「RED PARTY」と銘打って、お客さんも赤にちなんだファッションやグッズに身を包んで参加してもらったから。何も知らずに九段下駅周辺にいた人は「なんだこれは!?」ってなっただろうね(笑)。赤い集団がぞろぞろ駅から流れてきてさ。当時はまだコロナ禍で声出しできない状況で。でもうちのファンはみんないい子で、ライブ中に声を出さないでいてくれて。そんな状況でも集まってくれたのがうれしかったな。 ■ ホール会場より断然お客さんが近い ──日本武道館でライブする醍醐味って、ズバリどういうところですか? 実はやりやすいんだよね、武道館って。チェッカーズ時代の途中からセンターステージでやっているんだけど、意外と2階席も近いし、アリーナなんてもうすぐそこで。ホール会場よりも断然お客さんを近くに感じる。 ──センターステージの場合、例えば横浜アリーナのように楕円の会場だとステージまで距離が出ちゃう席もありますけど、武道館は八角形だからどの席からでも見やすいですよね。それは演者側もそうなんですね。 そうだね。武道館ならではの一体感は、ほかでは味わえないものがある。 ──ちなみに武道館でセンターステージをやることになった経緯って覚えてますか? 経緯は覚えてないけど、今考えても斬新だよね。イヤモニもない時代だったからよくやったなと思うよ。初めてやったときはどんな感じだったんだろう。でもチェッカーズってセンターステージにすごく慣れたバンドだったから。あれを1回経験しちゃうと片側に寄せたくなくなっちゃう(笑)。寄せちゃうとステージより後ろの席が全部潰れちゃうし。 ──じゃあ今後武道館でやるアーティストにもセンターステージをオススメしたい? いや、あまり勧めない(笑)。 ──ズコーッ! センターステージはね、慣れてない人にはハードルが高いと思う。特に武道館の場合、途中からどっちが正面かわからなくなるし、やっぱり360°のお客さんを相手にして歌うには細かい技が必要というか、コツをつかんでないとけっこう難しい。あと隠れる場所がないから、精神的にもすごく疲れる。 ──それでも何ものにも代えがたい魅力があるわけですよね。 360°ぐるっとお客さんがいるのはとても壮観で、その中心で歌うことでお客さんからのエネルギーをものすごく感じるんだ。その醍醐味を知ってるから、またセンターステージでやりたくなる。 ──ほかのアーティストもいろいろステージ演出を凝ってたりしますよね。亀田誠二さんやYOASOBIの武道館公演はアリーナをガッツリ潰してステージにしてました(参照:亀田誠治ゆかりのアーティストが武道館で「亀の恩返し」 / YOASOBIが2つの夢叶えた日本武道館ワンマン「この空間には愛しかない」)。 そういうやり方もあるよね。ホール会場は舞台が決まってるのでそれを前提に考えるけど、武道館の場合はステージから組み立てるので。どんな形でもできるっていう自由度はあるよね。 ■ 武道館には魔物が棲んでいる…? ──「日本武道館には魔物が棲んでいる」という話を聞いたことがあります。ミュージシャンが武道館のステージに立つとき、その場の空気にのまれて普段通りのライブができなくなるっていう。フミヤさんも武道館の魔物に遭遇したことはありますか? 遭遇したかどうかはわからないけど、やっぱりほかの会場とは全然違うし、始まったらすぐ終わっちゃう感じがする。自分では冷静でいるつもりなんだけど、たぶん思ってる以上に興奮してるんだね。「あれ? もう終わっちゃった」みたいな。 ──それは111回やってても? そうだね。やっぱりホール会場などと比べて音の響きが全然違うので、舞い上がってるんじゃないかな。 ──それに対してどういう対策をしているんですか? 武道館でやるときはね、もう「なるようにしかならない」と思ってる。リハーサルが終わって「大丈夫かな?」と思っても、「ここまできたらやれることをやるだけ」ってある種割り切っていつもやってるよ。 ──本来、日本武道館は柔道や剣道といった武道大会の決勝戦などが行われる場所ですよね。そういう意味で身が引き締まる感じはありますか? やっぱり最後を飾るにはふさわしい場所というか、ある種ゴール的な感じはする。だからツアーでも、できれば最後に組んでほしい(笑)。 ■ なぜミュージシャンは武道館を目指すのか ──日本武道館は2019年から2020年にかけて改修工事が行われましたが、昔と今で変わったところってありますか? 昔はシャワーの出が悪かったね。急に熱くなったりとか(笑)。今はだいぶよくなったけど。 ──あははは。音響面は? 会場が八角形だから、音が反射してやりにくいという話を聞いたことがあります。 音は昔に比べるとだいぶよくなっていると思うけど、昔のことはもう覚えてないな。イヤモニもないからすごい環境でやっていたとは思う。ただ音の反射に関してはあんまり変わってないんじゃないかな。 スタッフ 武道館が変わったというより、機材が進化しているんだと思います。前回のライブのときも適したものを用意しますとイベンターさんが言っていたので。 ──なるほど、PA機材が進化して、それを扱う運営スタッフ側の力量が上がっているということなんですね。フミヤさんは日本武道館にライブを観に行きます? もちろん行くよ。プリンスとか、いろいろ観に行ったね。日本人だったら東京事変とかTHE COLLECTORS、ピアニストの角野隼斗さん、最近だととんねるずも行ったし(参照:「本当にありがとう」東京事変、武道館で有終の美飾り解散 / とんねるずが日本武道館で29年ぶりライブ、しかし本編は8分で終了)。 ──たくさん行かれてるんですね! それにしても、なんでミュージシャンは武道館を1つの目標にするんだと思います? なんでだろう。でもやっぱり「目指せ武道館!」っていうのはあるよね。キャパ的にもマックスお客さんを入れて1万人ちょっとで、そこを埋められたら「売れた」って言えるだろうし、これまで洋邦問わずいろいろなアーティストがやってきた場所だから、そういう意味でもやっぱり武道館を目指すのはあると思う。 ──確かに武道館を満席にできたら胸張って「売れた」って言えそうですよね。あのー、僕が武道館でのライブを目指すにあたって、何かアドバイスをもらえたらうれしいんですけど……。 最近SNSでバズったりしていきなり武道館公演をやっちゃう子もいるでしょ? そういう時代だとは思うんだけど、俺としてはミュージシャンとしてちゃんと武道館を目指すんだったら、やっぱり段階を踏んでほしい(笑)。 ──小箱のライブハウスからZeppクラス、ホールと地道に実力を付けながらということですね! 怒髪天やフラワーカンパニーズの武道館公演はすごく感動的だったみたいですもんね(参照:怒髪天、初武道館で男泣き「何やってもグッとくるわ」 / フラカン初の日本武道館ワンマンは満員に「次は50代のバンドにバトン渡したい」)。 コレクターズも30周年のタイミングで初武道館だったけど、もう日本中のコレクターズファンが集まっての大集会だったからね。ああいうのがやっぱり武道館らしい光景だと思うんだよな(参照:次なる目標は紅白&東京ドーム!コレクターズ、デビュー30周年で念願の武道館に立つ)。 ■ 武道館で「White Party」をやりたい ──今年6月に111回目の武道館ライブを成功させましたが、今後の目標はあるんですか?(参照:藤井フミヤが40年分の歌を届けた111回目の武道館、燃え尽きながらも再会を誓う「また一緒に遊ぼうぜ」) やり続けられたらいいなってことだけだね。自分の肉体的なことはもちろん、お客さんが入ってくれるっていうことも含めて。 ──今後武道館でやってみたい演出ってあります? そうだなあ……「White Party」(※)をやってみたいね。 ※チェッカーズ時代、来場者に「白い服」というドレスコードを設け、客席をスクリーンに見立てて映像を映し出した公演。 ──ぜひ復活させて、フミヤさんが制作したアートを投影してほしいです! あれをやったのは随分昔だけど、今のプロジェクションマッピング技術ぐらいの光量でできればもっときれいに映ると思うんだよね。還暦ライブのときはステージの床に映像を敷き詰めていて、それはそれで派手で面白かったけどね。 ──ところでフミヤさんは来年4月から47都道府県コンサートツアー「FUTATABI」を開催しますよね。2023年9月から今年5月にかけても47都道府県ツアーをやりましたけど、なんでこんな短いスパンでまた全国を回るんですか? 全都道府県を回ったのは前回が初めてだったんだけど、すごく手応えを感じたんだよね。やっぱり近くまで行ったら来てくれるなっていう。「え? フミヤがそこまで来るんだ。じゃあ行こうかな」みたいな(笑)。あと、こういう時代なのでSNSでファン同士がつながって、開催地で合流とか、1人遠征とかもあるんだよ。「開演までに近くの有名なお寺に行きましょう」「コンサート後はここでごはん食べましょう」という感じで、ライブと旅行を兼ねてね。そうやってコミュニケーションが広がっている現象がすごく面白くて。あと年齢的なことを考えても、もう47都道府県ツアーはそうそうできない気がするから、やれるうちにやっておこうと思ってる。 ──それで“再び”各地のファンに会いに行くんですね。 そうだね。あと実はこのタイトル、“F(フミヤ)”“UTA(歌)”“TABI(旅)”っていうダブルミーニングになっていて。前回もそうだったけどチェッカーズ、F-BLOOD、ソロの曲をまた違うパッケージにしてやっていく予定だよ。その中でも、ライブで歌わないと怒られる歌もあるしね(笑)。 ──「TRUE LOVE」ですね! そうそう。俺のファンは結局何回「TRUE LOVE」を聴くかっていう。“TRUE LOVEポイント”をいっぱい貯めるのが俺のファン(笑)。 ──僕も貯めに行かせてもらいます!(笑) ツアーの日程はこれから追加発表されていくと思いますが、また日本武道館でのライブも期待しています。今日はありがとうございました! ■ 藤井フミヤ 1962年生まれ、福岡県出身。1983年から1992年までチェッカーズのリードボーカルとして活動後、1993年11月にシングル「TRUE LOVE」でソロデビュー。人気ドラマ「あすなろ白書」の主題歌にもなった同作は200万枚を超えるセールスを記録し、オリコン5週連続1位という快挙を成し遂げる。2013年7月にデビュー30周年&ソロデビュー20周年を記念したシングル「青春」を発表し、大規模なアニバーサリーツアーを実施した。2020年に実弟である藤井尚之とのユニットF-BLOODの活動を再開。還暦を過ぎてもなお精力的にライブ活動を行っており、2025年4月から2026年にかけて全国47都道府県ツアー「FUTATABI」を開催する。日本武道館での公演数はチェッカーズ、F-BLOODも含めて111回を数える。 FUTATABI - 藤井フミヤ 藤井フミヤ オフィシャルサイト 藤井フミヤ OFFICIAL (@ff238_official) / X