ヤマザキマリ 経済格差が今より歴然としていた昭和の子供事情を象徴する「筆箱」。転校していったてっちゃんの筆入れの中の輝石にどれだけ果てしない意味があったのか
出入国在留管理庁によれば、2019年には2000万人を超える日本人が出国していましたが、ここ数年は急減。コロナ過が明けたことで、ようやくその数も戻り始めています。一方、「旅する漫画家」として知られているのが、随筆家で画家、東京造形大学客員教授も務めるヤマザキマリさんです。実際、14歳に初めて1人でヨーロッパを旅してから今まで、国境のない生き方を続けてきたマリさんですが、今でも思い出しては、やる瀬なさでいっぱいになる子供時代の想い出があるそうで――。 【書影】マリさんが出会いをテーマに綴った新刊『扉の向う側』 * * * * * * * ◆楽しかった子供社会 1970年代半ば、実質経済成長率10パーセントの高度成長期が、オイルショックという現象とともに急激に終焉した頃、当時小学校の低学年だった私はそんな世の中の流れなど何処吹く風で、毎日を楽しく過ごしていた。 当時通っていた北海道の小学校では、生徒たちの経済格差は今よりも歴然としていたが、子供たちにとってそれは大した問題ではなかった。 商売をしているお金持ちの家、会社員の社宅、何を生業としているのかわからない家、見るからに貧しい長屋のような家。人の家の様子がみんなそれぞれ違うのは当たり前だったし、むしろその多様性が面白かった。 私が当時暮らしていた団地の部屋にやってくる子供らは、母が留守なのをいいことに、戦前長い間アメリカで暮らしていた祖父が持ち帰ってきた大きな鉄枠のベッドで飛び跳ね、壁に飾ってあったレプリカのモナリザの絵を「怖いおばさん」と怖がって大はしゃぎした。 親が商売を営んでいる少年の家へ遊びに行くと、お菓子や飲み物を好きなだけ出してもらえたが、無職だけどパチンコの上手いお父さんのいる子の家でも、やはりお菓子や飲み物は食べ放題だった。 家族や経済的な事情と日々の楽しさがシンクロするとは限らないのが、当時の日本の子供社会だった。
◆筆箱の中に自分の小さな宝物を入れて そんな昭和の子供事情を象徴していたのが筆箱である。 お金持ちの子供は最新式の、何面も扉のついたキャラクター柄の立派な筆箱で周りの羨望を独り占めするわけだが、それが悔しい子供はなんとか自分の持っている普通の筆箱の価値を上げるための工夫を凝らすのである。 普通の筆箱の価値を上げるのに一役買ったのが、初夏の北海道に現れるクワガタという甲虫である。 森林や電灯付近の壁といった場所で見つけたこの立派な虫を筆箱に入れて学校へ持って行き、これ見よがしにお披露目するのである。どんなにオンボロの筆箱であっても、中に立派なミヤマクワガタなんかが入っていれば、クラス中の子供たちの注目の的となった。 虫に興味のない女子は、筆箱の中に自分の小さな宝物を入れて持って行くわけだが、私の場合は、近所の鉄工所で拾う不思議な部品を、なんの変哲もない古い筆箱の中に忍ばせ、皆にやたらと羨ましがられたことがあった。 ただ、やはりお金持ちの女の子がキラキラするようなアクセサリーなどを持ってくれば、私の鉄鋼部品人気もそこまででしかなかった。
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