重い障害を持つ2人の子どもと養子縁組し、感じた可能性「あふれる情報に惑わされることなく自分と子どもを信じよう」悩める家族の最後のとりでに【特別養子縁組・体験談】
今から約70年前、1950年代の日本の人口中絶数は100万件を超えていたといいます。まだ20代だった「小さな命の帰る家」代表の松原宏樹さんは、その数を知り、強い衝撃を受けたそうです。そしてそれを機に、弱い立場の人や悩む家族に目を向けるようになった松原さん。弱い立場の人に寄り添いながら、自らも重い障害を持つ2人の子どもと特別養子縁組をし、日々子育てに奮闘しながら、悩めるお母さんやお父さんの相談を受けています。 全2回インタビューの後編です。 【画像】特別養子縁組で松原家の家族となったやまとくん。生まれたときにダウン症候群と房室中核欠損症、肺高血圧症を併発していました。。
悩める家族の最後のとりでである「小さな命の帰る家」
――障害のある2人の子どもを自ら育てながら、ダウン症候群(以下ダウン症)などの子どもを持つ家族の特別養子縁組の相談にも乗られているそうですね。 松原さん(以下敬称略) 「小さな命の帰る家」を設立したときからずっと変わらないのですが、「どこに相談しても難しいと言われ、最後にたどり着いた」という方からの相談がほとんどです。 これまでも、ダウン症だけれど健康状態が比較的安定している子どもの特別養子縁組が成立したケースはありますが、ダウン症や重い障害、その両方のある子どもの特別養子縁組となると、ほとんどの方がちゅうちょされてしまいます。また、相談にいらしても途中で途切れてしまうケースも少なくありません。 ――松原さんが、このような活動にかかわるようになったきっかけを教えてください。 松原 日本国内で何件くらい妊娠中絶が行われているかご存じですか? 厚生労働省の公表によれば、2022年度の人口妊娠中絶届出件数は12万2275件(※1)です。しかし1950年代にはその数は100万件(※2)を超えていました。 私がその数を偶然知ったのは今から30年以上も前のことです。その状況にとても衝撃を受け、いても立ってもいられず「もし悩んでいることがあったら連絡してください」という手書きのチラシを大阪駅前で配っていました。 振り返ってみると、それが今の活動のスタートだったと思います。