12歳の少年が見た昭和45年 大阪万博「僕たちの未来は千里丘陵のあの場所にあった」 プレイバック「昭和100年」
<当時の出来事や世相を「12歳」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。> 僕は日本一恵まれた小学生だと思う。なぜなら大阪万博の会場に近い千里ニュータウンに住んでいるからだ。3月の開幕から8回も行った。日本全国から半年で6400万もの人が見に来たのだ。 夏休みには田舎のおじいちゃんたちも一家で来て僕の住む団地に泊まった。2部屋しかないのに僕の家族を含めて12人で寝たのはきつかったけど、みんなが万博を楽しんでくれたようで、まるで僕がほめられているようでうれしかった。 おじいちゃんは「月の石が見られてよかった」と言っていたが、僕に言わせれば、あれは大したことない。一番のおすすめは、50年後の未来をテーマにした「三菱未来館」だ。トラベーターという動く歩道に乗って荒れた海や火山などの映像を体験しながら、緑が美しい未来都市に行く。そこは自然の脅威を克服した人類がロボットと共存する夢の世界だった。 僕は会場に行くたびに通ったが、「人類の進歩と調和」という万博のテーマはまさにこれだ、と思った。万博が終わった今、僕の心はぽっかりと穴があいたような気分だ。 万博開幕の直後だったが、羽田から福岡に向かう旅客機「よど号」が赤軍派と呼ばれるグループにハイジャックされる事件があった。乗客ら約130人が人質になっていたため、飛行機は赤軍派の要求通り北朝鮮まで飛んだが、腹が立ったのは犯人たちが「われわれは明日のジョーだ」と名乗っていたことだ。僕の好きなマンガをこんなところで使ってほしくない。 そういえば、4月末に太陽の塔の目玉のところに籠城する男も現れた。この男も「赤軍」と書かれたヘルメットをかぶっていたので仲間かもしれない。「アイジャック事件」と呼ばれ、捕まるまで1週間もよじのぼっていた。「万博中止」を訴えていたので、僕はこの「赤軍」という連中がますます嫌いになった。この年は瀬戸内海で旅客船を乗っ取る「シージャック」という事件もあり、乗り物に乗るのが怖くなった。 11月には、作家の三島由紀夫さんが自衛隊の市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。テレビでも自衛隊員の前で何かを訴えている映像が何度も流れた。お父さんは「最近は軍服を着たり、体を鍛えたりして変わってしまった」と言っていたが、侍のように腹を切るなんて一体何があったのだろう。僕はとても興味が湧いて学校で借りた「金閣寺」を読んでみたが、難しくてよくわからなかった。