【実録】フツーのサラリーマンが、いきなり沼落ち。グランドセイコーは、なぜ時計愛好家の「入り口」なのか検証してみた。
こんにちはGoroです。会社の同僚が彼の父親が遺品として残したグランドセイコーのヴィンテージモデルを引き継ぎ、半年ほど経過しました。その後、同僚はすっかり時計好きに変貌し、時計ライフを謳歌しています。何が彼を「時計愛好家」に変貌させたのか?彼の発言の変化、機械式時計に惹かれたポイントを紹介します。 でかした息子よ!相場暴落の逆風にもマケズ、オメガ・アクアテラ高価売却成功!
さて、写真のヴィンテージモデル、SBGR001/9S55-0010は1998年に発売されたモデルです。実はこの1998年、グランドセイコーが機械式ムーブメントを復活させた、アニバーサリーイヤーでもあります。 遡る事7年前1991年にセイコーはUTD(Urtra Thinn Dress)という手巻き式ムーブメントを搭載した、限定ドレスウォッチを発売し好評を得ていました。海の向こう側ではスイス時計の機械式時計復活の狼煙が日増しに高まっていた時期でもありました。 7年の間、グランドセイコーの機械式時計はどのようなプロセスで復活までにたどり着いたのでしょう?
1990年代初頭の時計業界、特に日本国内では「機械式ムーブメント?」なんて雰囲気が未だにあったことも事実です。筆者も当時の記憶を辿ると周囲で機械式時計は皆無状態でした。事実、いつも電池交換のタイミングをいつも気にしていた記憶があります。 そんな時代、時計製造に着目すると、クォーツムーブメントを搭載したグランドセイコーが成功を収めている真っ只中でした。そんな中敢えて「機械式ムーブメント」を復活させてグランドセイコーとして発売する理由は無いという考えがあっても不思議ではありません。 おそらく様々な課題や困難をいくつも乗り越えたからこそ、構想から発売まで7年も掛かったと推測できます。 さてオーナーである会社の同僚Fさんが、僕と出会った時このSBGR001はタンスの中に眠っていました。2023年の秋頃、偶然筆者が時計好きと知り、「親父の遺品のセイコーの時計がある」と僕に告げます。 タンスから引っ張り出し付け始めて、当初は「重たい」と言っていたこのグランドセイコーだったのですが、この時計のストーリーを僕から聞き、今やFさんは毎日このSBGR001を付けています。 「毎日見ても飽きない」、「つけないと物足りない」、「重量感が良い」とまで言うようになり、すっかり時計沼に落ちています。毎日愛用するようになった理由は質の高い製品である事が大きな理由です。 36㎜というサイズは細身のFさんの腕にジャストなサイズ感、それでいてSBGR001が輝き放つ光と、盛りあがった筋肉のような仕上げが絶妙なバランスを保っています。時計本体に時計コーティング剤を塗った所、最上部(1枚目)の写真のように輝きが蘇りました。(他の写真は全てコーティング前) 輝きが蘇った理由は下地にグランドセイコーの伝統、ザラツ研磨を施したからです。数多い研磨方法がある中、グランドセイコーは今もこの手法に拘り続けます。下地がしっかりしているからこそ、四半世紀の空白期間があっても見事に輝きが蘇ると実感しました。