日本一の俳優を作ったのは一冊の本だった…"不器用"な高倉健さんがボロボロになるまで繰り返し読んだ書籍
俳優高倉健さんは読書を好む人だった。どんな本を読んでいたのか。ルポライター、谷充代さんによる『高倉健の図書係』(角川新書)より、紹介する――。 【写真を見る】『樅ノ木は残った』の舞台、船岡城址公園からの景色 ■俳優・高倉健がひときわ好んだ小説家 沖縄の石垣島は、撮影を終えた健さんが誰にも告げずにふらりと出かけたり、平成12(2000)年の春には、船舶免許の講習を受けたりと、心をさらす場所である。 その頃、ラジオ番組の仕事でこの島を訪れた健さんが、「こんなものがあったんですよ」と赤い線をたくさん引いて、ボロボロになるまで読み込んだ本を持参した。 「南極のスコット基地には、小さなデイパック一個しか持って入れなかったんですが、この本を詰めていったんですね」 命の危険にさらされた『南極物語』(1983)の撮影現場に肌身離さず置いて、何度も読み返したという『男としての人生山本周五郎のヒーローたち』(木村久邇典著)。 山本周五郎の過去の作品の名文句を数行ずつ抽出し、次々と紹介したいわば箴言集である。時代小説を中心に、人生をひたむきに生きる人間の哀歓を描き出した山本周五郎は、健さんがひときわ好きな作家だった。
■南極に立つ俳優を支えた言葉 江戸時代の前期に仙台藩伊達家で起こった「伊達騒動」が題材となった小説『樅ノ木は残った』。 そのお家騒動の悪役とされてきた原田甲斐が、実は私利私欲のためではなく、ただただ伊達家とそこに属する人々を守るために、進んで汚名を被り、そうすることで黒幕の懐深くへ入り込んだ人物だったとする長編小説である。 古くからの友人・知人は徐々に離れてゆき、次々に死に別れる事態に見舞われても、哀しみを押し殺し堪える。全ては黒幕を追い詰めるためだった……。 山本周五郎は、このように生きたいと願った理想像を、甲斐に託して描いたのだと言われている。作品から抜粋された名文句がこちら。 ---------- 火を放たれたら手で揉み消そう、 石を投げられたら躰で受けよう、 斬られたら傷の手当てをするだけ、 ……どんな場合にもかれらの挑戦に応じてはならない、 ある限りの力で耐え忍び、耐えぬくのだ。 ---------- 極寒の南極大陸に独り立つ健さんの背骨を支えた言葉である。 ■健さんが口真似するほど好んだ作品 そしてもう一節、貧しくとも誠実に生きる家族の姿を描いた短編『ちゃん』より。 ---------- 「身についた能ものの、高い低いはしようがねえ、 けれども、低かろうと、高かろうと、 精いっぱい力いっぱい、 ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、 おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た」 ---------- 重吉はうだつの上がらない職人で飲んだくれの「ちゃん」だ。 火鉢作りの腕は確かなのだが、時勢の移りにしたがって、需要も減ってきた。給金も少なく、妻のお直と四人の子供に貧乏暮らしを強いざるを得ない。その上、せっかく手に入れた給金で飲んだくれ、金を使い果たしてしまった夜、「ちゃん」が家の戸口の前でくだを巻く。 ---------- 「銭なんかない、よ」と重さんがひと言ずつゆっくりと云う、 「みんな遣っちまった、よ、みんな飲んじまった、よ」 ---------- この読点「、」の打ち方がいい。酒の匂いまで伝わってくるようだ。 その上、酒場で意気投合した男を家に連れ込み、その男に長男の良吉が少ない給金から母や弟妹に買った心尽くしの品々を盗まれてしまう。