「すっとした着物姿の秘訣は、地球の重力を感じながら立つこと。」俳優・田中 健さんの着物の時間。
年を重ねてやっと着物が体になじみ 自然体でいられるようになりました。
しなやかで温かみのある風合いが魅力的なブルーグレイのお対(着物と羽織が同素材)の紬を、さりげなく着こなした田中健さん。 「義理の祖父は米沢の出身。これは同じ山形県の白鷹町に伝わる『白鷹紬(しらたかつむぎ)』です」 白鷹紬は300年前に、ときの藩主・上杉鷹山によって推奨され、地場産業として定着した先染め織物。素朴さのなかにも品格のある光沢感が特徴だ。 「この白鷹紬にはエピソードがあるんです。祖父には3人の娘がいて、連れ合いには故郷のことを知ってほしいと願い、伝統工芸品である『白鷹紬』を3反購入したんです。結婚の際に手渡したそうですが、そのうちの1反が縁あって、孫にあたる私の妻の手元に」 その白鷹紬を仕立てたのは8年前のこと。そこにもまたひとつのエピソードがあった。 正月番組で『オールスター家族対抗歌合戦』に出演することになり、僕の母から『私は着物を着るからね』と連絡があり、それならば、家族全員で着物で出ることにしようと。僕も祖父の思いがこもった白鷹紬を仕立ててもらい、歌を楽しみました。その時に母がものすごく喜んでくれて……。亡き母との思い出のひとつになりました」 【写真ギャラリーを見る】
今や時代劇には欠かせない存在の田中さんだが、デビュー当時はカッコよくて颯爽とした青年役が人気だった。そんな田中さんが着物に初めて袖を通したのは1978年に放映された時代劇『江戸の鷹 御用部屋犯科帖』だった。 「27歳のときです。共演は三船敏郎さん、里見浩太朗さん、坂上二郎さん、田中邦衛さん、中谷一郎さん。そうそうたる先輩方のなかに呼んでいただいたんです。それまで正式に芝居も習わず、まさにド素人からの俳優スタートでしたから、時代劇の所作どころか、着物を着たこともない。京都の撮影所の衣裳さんが着せてくれるまま、まさに“人間ハンガー”状態でした。所作は先輩方の立ち居振る舞いを毎日必死で見て勉強しました」 そのかいがあり、撮影現場でも居場所ができてくる。 「最初はできなかった所作が、徐々にできるようになるおもしろさを痛感しました。衣裳は相変わらず“着せられるまま”でしたが、自分なりの腰紐などの位置がわかってくると調整してもらい楽に動けるようになってくる。なにより先輩方の役に対する姿勢や解釈、演技を直に拝見できたことが大きいです。これが僕の財産になっています」