「親兄弟を空襲で失い、無戸籍のまま80年生きた」専門家も驚く戦争孤児、令和に実在?わずかな情報を頼りに探した記者が出会ったのは…(前編)
中には読書をする中年男性。傍らにはペット用食器に入ったするめいかや、片方だけのバドミントンのラケット。痩せこけた彼が読んでいたのは夏目漱石の「三四郎」だった。 年齢的に、戦争孤児ではないだろう。 「この辺に80歳くらいの男性は暮らしていませんか」 聞いてみたが、めぼしい情報はなかった。 ある水門の近くでは、片耳が聞こえないという高齢男性に出会った。集めた空き缶をつぶしては買い物カゴに仕分ける毎日だそう。生まれた年やこれまでの生活状況を尋ねたが、やはりこの人でもない。 予想はしていたものの、住所も名前も分からない人を探し出すのは簡単ではない。「金田さんでもできなかったのに」。炎天下を歩きながら、あの言葉が何度も頭をよぎった。 ▽「空襲で親を亡くした」と話すホームレス 「もう諦めようか」。そう思いかけていた8月初旬の昼下がり。帰り際の野球部員から、ある高齢のホームレスの情報が聞けた。
「おじいちゃんならこっちにいます。最近引っ越してきたんですよ」 引っ越しという言葉に思わず反応した。居場所を追われたというヒントに合致する。 案内されたコンクリートの護岸の上で、高齢の男性が大の字になって寝ていた。 少しだぼついたズボンに黒いタンクトップ姿。ほおはこけ、着衣の上からもあばら骨が浮いているのが分かる。川風に白髪がなびいていた。そこは、橋の下だった。 近寄ると、男性は片目を開けて鋭いまなざしを向けた。ゆっくりと起き上がり、名前を「ダイスケ」と名乗った。 「偽名だよ。この周辺じゃ、みんな俺のことをそう呼んでいる」 名前はほかにも何十個とあるという。人生に曲折があったことがうかがえる。 本名を問うと、顔をゆがめながらこう答えた。 「空襲で親を亡くしてるから、親が付けてくれた名前なんて分からないもん。(当時)4歳の子どもなんだよ、覚えてるわけがない」 胸が高鳴った。ひょっとしてこの人かも。ひとまず「ダイスケさん」と呼ばせてもらうことにした。
(つづく) 【後編はこちら】「桜の花びらのような無数の遺体、今も夢に見る」無戸籍で約80年生きた戦争孤児が明かす、壮絶な半生(後編)