「親兄弟を空襲で失い、無戸籍のまま80年生きた」専門家も驚く戦争孤児、令和に実在?わずかな情報を頼りに探した記者が出会ったのは…(前編)
金田さんが会いたがったこの無戸籍の孤児を、仮に「Aさん」と呼ぶ。金田さんによると、東京大空襲で家族を失い、何らかの理由で無戸籍のままらしい。市民団体「戦争孤児の会」の代表世話人まで務めた彼女も、「無戸籍の問題と孤児がつながることはなかった」。 手始めに、Aさんの支援者を取材したが、まずこう言われた。 「個人情報なので、彼のことは話せない」 この支援者は、Aさんに戸籍を作る「就籍」を勧めたものの、本人に拒否されたという。それ以外のことは口が重く、手がかりは得られなかった。分かったのは「彼」。つまり男性だということだけだ。 いきなり手がかりを失った私は、Aさんと似た境遇の人を探してみることにした。新聞や書籍などで証言をしてきた孤児に会えないだろうか。金田さんの本にも登場した身売りされた経験を持つ男性を訪ねたが、すでに他界。病気を理由に取材を断る人もいて、一筋縄ではいかなかった。 ▽孤児に戸籍を与え続けた「愛児の家」
次に、視点を変えようと考えた。当時戦争孤児を保護していた児童養護施設が、戸籍をどう整理していたのかを取材し、糸口を探ろう。そこで、終戦後に故石綿貞代さんが100人以上を育てたことで知られる「愛児の家」(東京都中野区)を訪ねた。 愛児の家では、身に着けていた名札の字や保護した状況から、それぞれの孤児に名前を付けた。その上で戸籍を作った。学校に通わせるためだ。 石綿さんの三女裕さん(91)によると、戸籍を作った子も「元の戸籍が残っていて、『ダブル戸籍』になっていた可能性」があるという。一方で、戸籍を作る前に脱走した子もいた。 混乱した当時の状況は見えてきたが、Aさんの手がかりはない。その後、全国空襲被害者連絡協議会に参加する孤児や、東京大空襲の国賠訴訟に携わった弁護士などに話を聞いた。しかし、やはり情報は得られない。それ以前に「無戸籍の孤児なんて聞いたことがない」という。 ある関係者からはこうも言われた。