逆境を乗り越え輝いた「ブラックサンダー」、理解されない企業文化からの脱却と市場浸透へのポイント
ブラックサンダーはどうやって社内でその空気感を作ったのか?
有楽製菓の社長である河合さんは、ご親族の後を継ぐ形で2010年有楽製菓入社。2018年から現職につかれています。今でこそ「義理チョコと言えば?」でも想起されるブラックサンダーですが、自虐的なキャッチコピーなど、奇抜なプロモーションを行い始めたのは河合さんが入社後に立ち上げたマーケティング組織がワークしてからだそうです。
どういった背景でマーケティング組織を立ち上げ、何を目的にプロモーションを企画してきたのか、インタビューから紐解いていきます。
――ご自身と有楽製菓について簡単にご紹介いただけますか
有楽製菓 代表取締役社長 河合氏(以下省略):有楽製菓は、私の祖父が創業し今年70年目になる会社です。私が3代目の社長で、メイン商品のブラックサンダーは、1994年に誕生しました。発売してすぐは全然売れず、一旦販売中止になったのですが、九州の営業マンがなんとか自分のところだけでも売らせてほしいと懇願して、根負けして復活したっていう経緯があります。 で、そこからほそぼそと10年ほど販売していました。
――たしかにブラックサンダーって子どものころあまり見なかったけれど、大人になって気づいたら「在った」ってイメージです でも、発売当初はヒット商品になるには程遠いような状態で、パッケージの変更などの試行錯誤をしていました。流れが変わったのは、販路を大学生協とかに広げ始めた頃ですね。子供の駄菓子としては高いんですけど、大学生にとっては比較的リーズナブルな、コスパのいい商品っていう感覚ではまり始めました。 体操選手の内村航平君が好物だって言ってくれたり、ネット上の掲示板サイトやブログとかで取り上げられたりしました。そういうことがあってヒットしていった、というのがブラックサンダーの流れです。 ――学生にちょうどいい駄菓子というところから、どのようにブランドイメージを発展させたのでしょうか
私が関わり始めた2011年から今のようなマーケティング活動を始め、いろいろな取組みをしてきました。今年のバレンタインはサナギ新宿というイベントスペースでブラックサンダーの天ぷらを販売する、というイベントを行いました。