「どうせすべてを忘れてしまう」認知症の人と時を重ねることの意味とは?
認知症の人のそばに寄り添うことに、意味はあるのか?
わたしは東京在住で、岩手まで介護に行きます。多いときは月の半分、少ないときは1週間程度、認知症の母と一緒に過ごします。1カ月の予定をカレンダーに書いておくのですが、母は毎回こう言います。 「あら、今日は帰ってくる日だったの?」 息子が帰ってくる日を、理解していません。しかし、数日一緒に過ごすと、 「あれ、あんた何日目? ずっと居るのかと思ったわ」 母の記憶は、いつの間にか息子と一緒に生活する日常へと変化するのです。 認知症の症状には波があり、記憶がはっきりするときもあれば、霧の中へと帰ってしまうときもあります。認知症になってしまったら、全ての記憶を失くしてしまうわけではなく、一部の記憶が抜け落ちるような感じになります。 もし、認知症で何も分からないなら、わたしが母の元を何度も訪れることは、何の意味も持ちません。ある医師は、認知症の人との信頼関係を築くには、時間の積み重ねが大切だと言います。確かに、時間を積み重ねていくと、ふとした瞬間に思い出してくれることもあります。 たとえ寝たきりになったとしても、ただそこに居るだけで、話のきっかけが生まれることもあります。家族が集うきっかけにもなります。何もしてあげられない、ただそばに寄り添うだけで何の介護になるのか? と自分を責める介護者の方もいらっしゃいますが、十分意味があることだと、わたしは思います。 介護・看護の質を落とさないようにするためには、程よい距離感で、介護職員の方々や医師・看護師と接点を持ち続けながら、コミュニケーションをとり続けることが大切です。また、認知症ご本人にとっても、すべてが分からなくなるわけではなく、そこに一緒に居ることや、過ごした時間は、記憶のどこかに刻まれています。時を重ねることは、決して無意味ではありません。 (介護ブログ「40歳からの遠距離介護 」運営・工藤広伸【くどひろ】)