【「雨の中の慾情」評論】つげ義春と片山慎三、夢幻と現実。異なる世界の交錯に魅惑される奇想の情愛譚
長編映画監督デビュー作「岬の兄妹」(2019)と長編第2作「さがす」(2022)で社会になじめず底辺で貧しく生きる人間の悲哀と滑稽さを、穏やかなユーモアも添えて描いてきた片山慎三(両作で脚本も執筆)。その作品世界は、つげ義春が昭和後半の約30年間に発表した漫画作品群と親和性がもともと高かった。本作の開発は企画・中沢敏明とプロデューサー・厨子健介ら製作陣から始まったそうだが、昭和のつげ漫画の映画化を令和に頭角を現した片山監督に託したのはまさに最適解だった。 【動画】「雨の中の慾情」予告編 映画タイトルと同じつげの短編「雨の中の慾情」が原作とされているものの、漫画の筋である雷雨のなかバス停に居合わせた男女のエピソードは主人公・義男(成田凌)が見た“夢”として映画冒頭で提示されるのみ。離婚した女の引っ越しの手伝いを家主から頼まれ、その後禁制品の運び屋稼業に加担する「隣りの女」、小説家志望の伊守や喫茶店で働く福子と商店街のPR誌作りで広告収入を得ようとする「池袋百点会」、女性がひき逃げされた現場に遭遇する「夏の思いで」の短編3作が巧みに継ぎ合わされ、売れない漫画家・義男が体験する日々として映画の本筋を構成する。 ネタバレにならないよう配慮しつつ、予告編映像や片山監督のインタビュー記事で明かされている範囲で本編の仕組みに触れると、映画「雨の中の慾情」は、先述のつげ漫画をベースにしたパートのほかに、予告編で示された戦場の場面を含む映画オリジナルのパートがある。それはあたかも、つげ義春と片山慎三というクリエイター2人の作品世界が隣り合わせに存在し、時に交錯するかのよう。片山監督はインタビューで、ロケ地に決まっていた台湾をシナリオハンティングで訪れた際、その風土と歴史に触発されて戦争の部分を自ら盛り込んだと語った。戦争の要素に関連して、監督は「ジェイコブス・ラダー」(1990)との共通点を挙げているが、ほかにカート・ボネガット原作の「スローターハウス5」(1972)やスタンリー・キューブリック監督作「フルメタル・ジャケット」(1987)との類似点もうかがえる。 戦場の最前線に送られる兵士もまた、国家という強大な力に翻弄され不条理な現実を強いられる一人の人間にほかならない。圧倒的に脆弱な人間が、それでも自らを受け入れてどうにか生きようとする姿は、つげ漫画と片山監督作品に共通するテーマでもある。訪れた台湾の金門島で軍事的緊張を目の当たりにし、日本と中国と台湾をめぐる20世紀の歴史の中におよそ半世紀前のつげ作品を2020年代に映画化する意義を見出した片山監督が、2つの“世界”をクロスオーバーさせたのは秀逸な奇想であり、それらを融合させた構成と演出の腕にも敬服する。 映倫区分がR15+となっていて、成田凌や福子役・中村映里子らのヌードや性的なシーンも描かれる。ただし、つげ漫画の性的な場面の描写がそうであるように、興奮を催すエロティックさというよりはどこか物悲しくて少し滑稽な、性の営みもまた人間の生の一部として俯瞰するような冷めた感じが優勢だ。成田と中村に加え、伊守役・森田剛と、つげ義春原作の主演作「無能の人」で監督デビューも果たした竹中直人らが、つげ漫画のキャラクターたちを味わい深く体現していて、台湾・嘉儀市のノスタルジックな街並みによく馴染んでいる。 (高森郁哉)