「自分らしくいられる音楽」を届ける。上野大樹が語る、その意味とは
シンガーソングライターの上野大樹が、自身が出演するギター弾き語りのライブイベント「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2024 supported by 奥村組」への意気込みを語った。3月2日(土)、3日(日)の2日間、両国国技館で開催。 J-WAVEの番組『DIG UP!』(ナビゲーター:福ノ上達也)では2月19日(月)~22日(木)の4日間にわたって同イベントを特集。上野は19日、20日のゲストとして登場した。
音楽の道に進んだきっかけ
上野は1996年9月21日生まれ、山口県宇部市出身。YouTubeでは自身の楽曲『ラブソング』が470万再生(2月22日時点)を超える人気ぶりだ。 メジャーデビュー前から、その歌声でじわじわとファンを獲得していった上野。自身の楽曲が世間に浸透していく実感はあったのだろうか。 福ノ上:「僕の曲が聴かれているな」みたいな実感はありましたか? 上野:コロナ禍にYouTubeにアップして着実に増えていったので、目の前のリスナーの数がバッとわかるわけではないので、あまり実感はなくて。コロナ禍明けてワンマンライブができるようになってから、「本当に届いているんだな」と思い始めました。 福ノ上:音楽の制作に携わろうと思ったきっかけってなんだったんですか? 上野:僕は音楽を小さいころにあまり聴いていなくて。ずっとサッカーをしていて、怪我してやめちゃって。だから音楽をほとんど知らなくて、最初は高校生のときに兄貴にギターを借りて暇つぶしという感じで始めたけど「曲を知らないから作っちゃえ」みたいな感じで。コード4個ぐらい覚えて自分で作っていました。 福ノ上:普通、音楽って知らないとできないんですよ。 上野:そうですね(笑)。 福ノ上:知らないから作っちゃえというのはなかなか。最初に影響を受けたアーティストは誰でしたか? 上野:大学生のころにルーツがないのがすごくコンプレックスになっちゃって。「自分はどんな音楽をやったらいいんだろう?」というときに七尾旅人さんとか折坂(悠太)さんの音楽を知って「自分もこういう音楽をしてみたい」というのはきっかけではあります。 福ノ上:最初はギターで曲を作り始めて、最近だとピアノの伴奏があって歌うものもあります。これはなにか意識の変化はあったんですか? 上野:いまの事務所がスタジオレーベル、音楽制作の事務所なので本当にたくさんのミュージシャンと繋げてくれて、自分の楽曲の幅も広がりました。