「きみに逢う以前のぼくに遭いたくて」日本を代表する歌人が、亡き愛妻に捧げた歌碑にこう刻んだ理由
何かの行き違いがあって、お互いに不機嫌に黙りこくっていたその日。帰らせようとする私と、帰るまいとする彼女の意地の張り合いがきっかけとなって、いつかは言わねばならないと思いながら、なかなか切り出せなかった「そのこと」が口をついたのであったのだろうか。平安神宮の前、京都会館の裏庭でのことであった。 腰のところに廻されていた手をとって傷のま上においた 「指を広げて。ずっと、もっと」 あのひとは不思議そうにした 「傷があるの 大きなひどい傷なの」 「知ってたよ 前から。それがどうした」 「傷なの ひどい傷なのよ こんな私でもいいの それでもいいの」 見上げたら あのひとはこの上なくやさしい 満足そうな顔をして 微笑んでいた 「傷があるからどうなるって言うの バカだなあお前は」 不意に彼は 力いっぱい抱きしめて きいた 「子供はうめるの?」 かなしみのような 引き裂かれるようなよろこびに似た 涙がふきあふれた 声をおさえることができなかった 胸にすがりながら 何度もこっくりをした 「子供は うめるわ あなたの好きなだけ 何人でも うんであげる。子供はうめるのよ」 どんなにかなしかったろう どんなにせつなく どんなにうれしかっただろう 何もかも知りつくして それでも なお私を 奥さんにしたいと言ってくれる ほんとに ふきあふれるように 涙が流れた (日記 1968年4月9日)
その夜のことは、私もよく覚えている。もっとも怖れていた私の反応に安心したのか、いつまでも涙が止まらなかった。彼女の傷跡を実際に見ることになったのは、だいぶあと、手術のかなり後だったが、なんだこんなことをあれほど怖れていたのかと拍子抜けするほど、目立たない傷跡であった。 しかし、その〈告白〉を受けることで、彼女が確実に私に近い存在になりつつあること、そして、私のほうは、彼女を引き受ける覚悟を意識せざるを得なくなっていった。 きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり 永田和宏『メビウスの地平』 いつ、この歌を作ったのか、はっきりした記憶はない。「きみ」という存在に出会うことになり、今はとても倖せである。しかし、そんな喜びの時間のなかに、時おり「きみに逢う以前のぼく」、その時間を懐かしく思うことがある。暗く、デスパレットであった、あの頃の自分。そんな自分にもう一度遭いたくて、「海へのバス」に揺られている。意味的にはそんなところである。