市川染五郞が演じる光源氏を撮り下ろし!プライベートに迫るインタビューも必読
江戸時代の初期に“傾奇者(かぶきもの)”たちが歌舞伎の原型を創り上げたように、令和の時代も花形歌舞伎俳優たちが歌舞伎の未来のために奮闘している。そんな彼らの歌舞伎に対する熱い思いを、舞台での美しい姿を切り取った撮り下ろし写真とともにお届けする。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン 写真多数!市川染五郞が演じる美しき光源氏 平安時代に紫式部が綴った日本最古の長編小説『源氏物語』は、日本が世界に誇る名作で、歌舞伎でもさまざまな視点で上演されてきた。今回は五十四帖ある物語の中から、「六条御息所の巻」と題して、主人公の光源氏と、知性と品格を兼ね備えた年上の愛人、六条御息所を中心にしつつ、御息所の怨念に悩まされる正妻の葵の上の思いなどが描かれている。六条御息所を坂東玉三郎さん、葵の上を中村時蔵さん、そして光源氏は市川染五郎さんが演じる。 今回は市川染五郎さんに、今年1年の振り返りやプライベートについて伺った。
──ご自身のこれまでを振り返って、気づきを得ることができたと思える舞台があれば教えてください。 染五郎:少なくとも今年1年を振り返ると、1番印象的なのは2月の博多座で『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』です。江戸川乱歩の作品を歌舞伎化したものですが、僕にとって本当に小さい頃からの憧れの役で、その作品に出演できたことももちろんですが、今回は脚本の打ち合わせから全部、作品づくりそのものに関わらせていただいたことも嬉しかったです。 僕は小さい頃からお芝居を作ることに興味がありまして、新作に出させていただくたびに、自分なりの演出を頭の中で想像を巡らせていましたが、実際に舞台でやることはなかったので、それを初めてやらせていただいたという意味でも印象深い経験でした。 また、僕は自分を俯瞰で見てしまうタイプで、それは自分では長所だと思っています。演じる人物を俯瞰して見ることも大切ですし、作品を創る上では作品全体を見なければならないので、そのためには視野を広くもたなければなりません。そういう意味で演じる側の立場であると同時に、創る側の立場にもなるのは、僕自身には向いていることかなと思っています。チラシの演目名の右側に「市川染五郎演出」とクレジットが入るのが僕の夢です。何十年も先のことかもしれませんが、いつか必ず実現させたいです。 ──いつか演じてみたい役を挙げるとしたら何の役ですか? 染五郎:1番憧れているものを挙げるなら、当然『勧進帳』の弁慶です。僕は弁慶以外でも『金閣寺』の松永大膳のような太い役が好きで、わりと声も太いほうが出しやすいんです。 ──9月の秀山祭ではお父様の松本幸四郎さんがその弁慶を演じ、染五郎さんは義経を勤められました。同じ舞台に立ってみて、印象に残っていることはありますか? 染五郎:秀山祭では、父は播磨屋(二世中村吉右衛門)のおじ様のやり方で弁慶を演じていました。弁慶は父にとっても、子どもの頃からの憧れの役です。それなのに、先日、「あと1回くらいは弁慶を演ってみたい」と言っていて、「いや、1回だけなの? 40代になってからやっと叶った夢なのだから、そう言いながらもっと演るでしょ?」と聞きながら思っていました(笑)。 確かにとても体力の必要なお役で、最後に花道で六方を踏んで揚幕へと向かっていくときも、揚幕の内側に後見が待ち構えていて、鳥屋に入ってきた時にラグビーのタックルをするように後見が受け止めないと弁慶は止まれないんです。それぐらいの勢いがあります。父は引っ込みの六方も秀山祭では播磨屋のおじ様のやり方でやっていたので、高麗屋とはまた違います。今回も弁慶の横にいて、そういう思いを感じていました。 ──舞台に立つ上で、歌舞伎にまつわることを日々勉強されていることが伝わってきますが、プライベートな時間は何をして過ごされるのでしょうか? 染五郎:昔からゲーム好きで、夜中にゲームをしています。「フォートナイト」というオンラインゲームが特に好きなのですが、「クリエイティブ」という自由にコンテンツを創ることができるモードを楽しんでいます。このクリエイティブモードの世界ではたまに歌手の方がバーチャルライブをしていることがあって、バーチャルを生かした演出が見ていてとても面白いんです。すごい巨大化したものが同上したり、空間が360度見られたりするので、ここで歌舞伎をやりたいと思いました。結局、歌舞伎に繋げてしまいます(笑)。 ──染五郎さんの同世代や次世代の人たちに歌舞伎を観てもらうために、挑戦したいと思っていることはありますか? 染五郎:最近のお客様の中には、伝統芸能というよりは、歌舞伎を演劇としてご覧になっている方が多いような印象があります。だからこそ、歌舞伎の型にも、その根底には人物の心理というものがあるということを意識して演じなければならないと思っています。演じる役の心理描写をきちんと積み上げずに、歌舞伎っぽい台詞回しや動きに頼ってしまうと、ただ単に歌舞伎風に演っているだけになってしまいます。“歌舞伎風の歌舞伎”であってはいけないと思います。かつて祖父(松本白鸚)が「梨苑座」というものを立ち上げて、歌舞伎の演劇的な部分を模索していたことがあるのですが、僕はこの「梨苑座」を復活させたいと考えています。当時は『夢の仲蔵』という中村仲蔵の話を描いた作品を手がけていましたが、今でこそ演劇的な歌舞伎はナチュラルに受け容れていただけるような気がします。『夢の仲蔵』も演りたいですし、自分で新たに創ることにも挑みたいです。 ──染五郎さんは普段から舞台にいるご自身を俯瞰して見ていらっしゃるとのことですが、光源氏はご自身の目にどのように映っていますか? 染五郎: どんな役でも客観的に見て、自分自身を分析していかないと成長できないと思っているので、そこは変わらず、いつものように自分を俯瞰しています。 今回は登場の仕方がすごく怖いです。お客様をじらして、じらして、幕が開いてから30分ぐらい経って光源氏はやっと出てきますが、それがすごく得だと思うと同時に怖さも感じています。お客様が待ちに待ったという空気の中に出ていくわけですから。そういう意味でもお客様のイメージの中にある光源氏像に、100パーセントハマっている人物として出ていかなければならないことへの恐れかもしれません。 市川染五郎(ICHIKAWA SOMEGORO) 東京都生まれ。父は松本幸四郎。祖父は松本白鸚。2007年6月歌舞伎座『侠客春雨傘』の高麗屋齋吉で、本名の藤間齋(ふじま・いつき)の名で初お目見得。09年6月歌舞伎座『門出祝寿連獅子(かどんでいおうことぶきれんじし)』の童後に孫獅子の精で四代目松本金太郎を名のり初舞台。18年1・2月歌舞伎座で八代目市川染五郎を襲名。