キャスター小倉智昭さん77歳で死去…フジ「とくダネ!」仕事仲間が明かす素顔と闘病秘話
膀胱がんなどとの闘病の末、このほど亡くなったキャスターの小倉智昭さんは面倒見が良く、多くの仕事仲間に慕われていた。2016年に膀胱がんを公表後も仕事を続け、最期まで現役を貫いた。 【写真】在りし日の髭を蓄えた小倉智昭さん 9日に亡くなる2日前には、同じ事務所所属の元フジテレビ笠井信輔アナが電話で「私は小倉さんの一番弟子。本当にありがとうございました」と告げると「僕の方こそ」と応えていた。このとき病院で「治療の手立てがない」と宣告を受け、自宅に戻っていたそうで「先生に頑張らなくていいですよって(告げ)諦めたんだよね」と語っていた。元フジテレビ芸能リポーターの平野早苗さんは言う。 「ことし5月10日、『とくダネ!』スタッフ一同でフジテレビのレストランに集まり、小倉さんの喜寿をお祝いしたのが最後となりました。治療の副作用がつらいと話されていましたけど、お腹から声が出ていてお元気そうでした。小倉さんと私は共に秋田県出身で、スタジオでも突然秋田弁で聞いてきて、私も秋田弁で返す場面が何度かありました。出演者一人一人、どこをいじってその人の良いところを引き出すかということをいつも考えてくれていたんです」 ■「とくダネ!」スタッフが親睦できる場を 豪雪の北海道を取材し現地から中継した際は「行きつけの店があるから、そこでご飯を食べなさい」と小倉さんは電話でねぎらい、店のセッティングまでしてくれたという。「とくダネ!」では忘年会に旅行会、ゴルフコンペなどを開催し、スタッフ皆が親睦できる場をたくさんつくっていた。 「一見話しにくいイメージがありましたけど、実はとてもシャイな方であることがすぐに分かりました。こちらから話しかけるといつも穏やかで、スタッフに苦情などもほとんどなかったと思います」と続けた。平野さんと同じ芸能リポーターの小柳美江さんとのユーチューブ番組「河田町姉妹のおしゃべりワイドショー」に昨年出演したのは、小倉さんからの申し出であったという。 小柳さんが振り返る。 「あの時は少し体調が悪かったようで『歩くのがつらいんだよ』とおっしゃっていました。それで心配したのですが、インタビューが始まると2時間以上、あのいつもの独特の口調でたくさんのお話を聞かせてくださいました。私が一番印象に残っているのは膀胱を摘出した後のエピソードです。男性機能や排尿の大変さなど本当に包み隠さず話されて、驚きました。その後、番組を見てくださった同じ病気の方から『貴重なお話でした』と言われ、情報番組のMCとして、自分自身のことも全てさらけ出して伝えていこうという強い意志を感じたものです」 この番組を小倉さんのパーソナルスペース「小倉ベース」で収録後、小柳さんが化粧ポーチを忘れたと小倉さんから電話があり、小倉さんは「必要なものだろう、すぐ送るから住所を伝えろ」とし、この翌日には緩衝材を入れた奇麗な紙袋で送り届けくれたという。 「ボロボロのポーチだったのに、こんなことにもお気遣いをして下さるんだと恐縮しました」と小柳さんは言う。 小倉さんは犬好きで、ペット用品店で愛犬の洋服やオモチャを選ぶ姿は屈託がなく、仕事のときとは別人のようだったそうだ。最期は愛犬にも看取られていたという。享年77。追悼メッセージが引きも切らないという。 ◇ ◇ ◇ がん治療において大切なものの内の1つに「家族」があるという。関連記事【もっと読む】がん闘病中の小倉智昭さんが直面…「最後の治療」に垣間見える家族力…では、識者がその重要さを指摘している。