3~4組のバンドを掛け持ち、ルール全無視でコンテスト受賞… 根本要が語る「スターダスト☆レビュー」デビューまでの歩み
バンドデビューを模索する中で恩人と出会う
その頃、「ジプシー」のライブを見たプロデューサーからある日、突然電話がかかってきて、「あの曲を書いたのは君かい? 実は映画の主題歌の話があるんだけど」と持ち掛けられた。東京・池尻にあるレコード会社「キティ」で井上陽水や高中正義らを手掛けていた音楽プロデューサー、安室克也だった。 結果、根本の曲が採用となり、伊豆にあるスタジオでその仮歌を入れた。「これって誰が歌うんだろう」と楽しみにしていたが、「君が歌うんだよ」と安室に言われたときは頭が真っ白になったという。その曲は架空のバンド「クレイジー・パーティー」の名義で、アニメ映画「がんばれ !! タブチくん!!」の主題歌として1979年にリリースされた。同映画の全3作で根本は主題歌を歌った。ちなみに3作目の「がんばれば愛」の作曲は大瀧詠一が手掛けた。 一方、「アレレのレ」は、東京・渋谷のライブハウス「屋根裏」に出演しながらバンド活動を続けていた。当時の屋根裏は、新宿の「ロフト」と双璧をなすライブハウスで、RCサクセションやカルメン・マキ&OZなど当時の有名ロックバンドが出演していた。 「そのときに声を掛けてくれたのがワーナー・パイオニア(当時)のプロデューサー、深川昌弘さんでした。それまでにもいくつかデビューの話はあったけど、本当に僕らのことを気に入ってくれて、何度もライブを観にきてくれたんです」 まさに恩人だ。 「当時のアマチュアバンドって、たいていレコード会社の人を嫌ってた気がします。『こうすりゃ売れるよ』とか口ばっかりで。でも僕らはそういう嫌な面を見ることもなく。深川さんは『好きなようにやってみろ』としか言わなかった」
「ガス欠」がその後のスタレビを暗示?
1981年5月25日。世に出るにあたり「スターダスト☆レビュー」と改名したバンドがデビューした。だが、アマチュア時代からライブを続けていた根本らにデビューの感慨は特になく、その日の早朝はなんと、東名自動車道で車を押していたという。 「デビューの前日が神戸商船大学の学園祭でした。終わってそのまま楽器車で東京へ戻ってきたんだけど、朝の4時か5時くらいかな。ガス欠になっちゃって」 当時は第2次オイルショックの影響が残っており、ガソリンスタンドは高速自動車道のサービスエリアなども含め、日曜日に休業していた。大阪からうまく給油ができず、結局、海老名サービスエリアの手前2キロの地点でガス欠。メンバーで車を押し始めたがあいにくの上り坂だったため、じゃんけんで負けた根本とドラムスの寺田正美が2人でとぼとぼ路肩を歩いてサービスエリアまでガソリンを買いに行ったという。 夜明け前の薄暗い中、長距離トラックがガンガン走っている道路。「ここで追突されたら、俺らのデビューアルバム、黒枠写真で出るんだろうな」などと冗談にもならないことを言い合っていたという。 「ガス欠、そして海老名手前の上り坂が、その後のスタレビを暗示していたんですよ」 無事、東京にたどり着き、他のメンバーはそれぞれ、自分たちのデビューアルバム「STARDUST REVUE」とシングル「シュガーはお年頃」が並ぶレコード売り場に確認しに行った。だが根本は違った。 「僕は今まで自分のCDが売っているかどうかの確認に行ったことは一度もない。なかったら怖いし、あっても恥ずかしいし」 今に続くバンドの船出であった。 *** 第2回【40年以上のヒット曲なしは「理想の売れ方」 スターダスト☆レビューが歩む“音楽で生きる道”】では、デビュー後のスタレビと、今後の展望について語っている。
デイリー新潮編集部
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